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 ヴァージンロード

 

 六月二六日(土)結婚式当日を迎えた。

娘と宗太は、着付けや準備があると言うので、すでに式場へ向かっていた。

私達も出かける準備をしていると、妻が何気なく言った。

「ねえ、今日の空、写真に撮っておいて。

菜美ちゃんがお嫁に行った日の空。

ずーっと残しておきたいの」

 私は空を見上げた。

そこには、どこまでも続く六月の青空が広がっていた。

それは今日という日を、まるで爽やかに祝福しているかのような大きさだった。

そしてその大きな青空に、一筋の雲が伸びていた。

その雲の先端に娘と宗太が乗り、この大きな青空を渡って行くように私は感じていた。

 私はカメラのシャッターを切り続けた。

この青空がいつまでも残るように・・・

 

 私達は車に乗ると、式場である藻岩シャローム教会に向かった。

その教会は藻岩山の麓にある。

近づくにつれ、藻岩山の緑が増してくる。

本当に濃い緑が山裾まで降りてきている。

その緑の中、緩やかな坂を登って行くと、教会への入口が見えてきた。

色鮮やかな草花が私達を迎え、白樺の木立からは、爽やかな風が吹き抜けている。

そして教会に着き、着替えを済ませると、私達は親族用の控え室で待っていた。

 ほどなくして、女性のスタッフが現れ、「娘の着付けが終わったので来てほしい」と言う。

私と妻は早速娘の待つ部屋へと向かった。

そしてスタッフが扉を開けると、そこには純白のウエディングドレスに身を包んだ娘がいた。

思わず目を見張った。

我子ながら本当に綺麗だった。

「どうしてこんなに美しい娘を・・・」

そう思ったが、それ以上は言えるわけがなかった。

 その後、私と妻、そして娘と宗太の四人で談笑していると、親族紹介と写真撮影があるというので、早速私達はスタジオに向かった。

そこでお互いの親族を紹介し合い、集合写真を撮った。

そして、新郎新婦の写真を撮るので他の親族はもう一度控え室に戻るという時に、私だけ残るように言われた。

どうやら新婦とその父親だけの写真を撮ってくれるようだ。

これは花嫁の父にだけ許された特権のようだ。

 純白のウエディングドレスに身を包んだ娘とモーニング姿の私が腕を組み、一枚のフレームに収まっている。

その時の私の顔が、嬉しさに満ち溢れているのか。

それとも、悲しさに打ちひしがれているのか。

それは私自身、今でも定かではない。

 

 写真撮影が終わり、式のリハーサルを軽く済ませると、私は教会の入口横にある、小さな控え室にいた。

外側からは参列者の足音がコツコツと聞こえてくる。

私は落ち着かず、狭い控え室の中を後ろで手を組み行ったり来たりしていた。

そして全員が入場し、静に教会の扉が閉まる音がすると、控え室のドアが開き私は呼ばれた。

 控え室から出ると、教会の扉の前では、すでに宗太が一人で立っていた。

そして扉が開くと、宗太はなぜか元気良く、それも笑顔で入場して行った。

いよいよ私と娘の番だ。

 私は娘と腕を組み、重厚な扉の前でその時を待った。

ステンドガラスの天窓からは、淡い陽の光りがユラユラと煌くように落ちてくる。

そして扉の向こうからはオルガンとフルートの奏でる厳かな賛美歌が聞こえてくる。

私は目頭に熱いものを感じていた。

それは拭っても拭っても流れ落ちてくる。

そして、娘と過ごした日々が、それこそ走馬灯のように頭の中を駆け巡っていた。

 私は、あの扉の向こうには行きたくはなかった。

あの扉の向こうに行くと、もう私の娘ではなくなってしまう。

私はこのまま家に帰りたい。いや、あの『卒業』という映画のように、娘を拉致してこの場を去りたい。

そういう強い衝動に駆られていた。

 私は思わず娘を見た。

すると、不思議なことに、ベール越しに見る娘の顔は、なぜか幼少の頃の、あのあどけない小さな顔に戻っていたような気がした。

そして、こう言われたような気がした。

「ねえ、パパ。どうしたの?」

 私はなぜか首を横に振り、ただ、黙って頷くだけだった。

そして再び正面を向いた時、教会のスタッフはゆっくりとその扉を開いた。

 

 うっすらとした教会の中に、祭壇へと続く淡いエメラルドグリーンに輝くヴァージンロードが浮かび上がっていた。

賛美歌が私と娘を包み出す。すると、不思議と私は落ち着きを取り戻していた。

娘と共に一礼すると、ゆっくりと初めの一歩を踏み出した。

 ヴァージンロードとは、『今まで家族と共に歩んできた道』と聞いたことがある。

その道を、今、私は娘と共に歩み始めた。

一歩踏み出すごとに、娘が幼少だった頃からの楽しい思い出がよみがえってくる。

 生まれて初めて私の人差指を握った、あの小さなお人形のような手。

 初めて私と二人だけで食事をした時の、あのあどけない笑顔。

 家族皆でカヌーに乗った時の満面の笑み。

 空手の試合の時の、鋭いまなざし。

 ダッフルコートを買いに行った時の、寂しそうにうつむいていた横顔。

 二人で映画を観に行った時の、あの妙に艶っぽい大人びた顔。

 そして・・・ 宗太を見つめている時の、愛しい顔。

それらが次々と浮かんできた。

本当に僅かな数歩だったが、娘と共に歩んできた25年という月日が、一歩踏み出すごとに鮮明に浮かび上がってくる。

そして、そのヴァージンロードの先では、新郎の宗太が待っていた。

 私は立ち止まり、娘の顔を見た。

娘は私を見つめ、ゆっくりと頷いた。

それはなぜか、「ありがとう」と言っているように見えた。

そして娘の手は、ゆっくりと私の腕から離れた。

 私は一人、娘を見送った。

娘は宗太と腕を組み、共にまた歩み始めた。

それは、二人にとって、未来へと続くヴァージンロードだった。

 

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