結婚への道
娘と宗太は大学を卒業すると、そのまま二人とも大学院へと進学していた。
この頃になると、私達夫婦も宗太の両親と直接電話で話をすることも多くなり、両家とも“結婚”という二文字を意識せざるを得ないようになっていた。
そして私は思っていた。
「いずれ宗太が、結婚の許しを得に我家に来た時は、絶対に一度はずらしてやろう」
茶目っ気なことだが、何を隠そう私自身も妻との結婚の承諾を得るために妻の実家に行った時、見事にずらされた経緯がある。
それは初めて妻の実家に行った時のことだった。
その日は、私が妻との結婚の承諾を得るために来るというのを妻側の実家は知っていた。そのため、妻の兄夫婦も実家に戻り皆待っていたのだった。
私は妻の父に何と言おうかと、頭の中で考えながら妻の実家に向かっていた。
だが、なかなか上手い言葉が浮かんでこない。
「こうなったら行き当たりばったりだ」
そう思っているうちに、実家の玄関前に着いてしまった。
私は恐る恐る玄関を開けた。
「こんにちはー」
自分でも白々しい声だったのを良く覚えている。
だが、真っ先に出てきた兄夫婦は、そんな私を快く迎え入れたくれた。
私と妻が居間のソファーに腰掛け、なぜか落ち着かないでいる中、兄嫁が忙しなく動き回り、お茶と茶菓子を出してくれた。
その間に妻の母が向かいに座り、後は父親の登場を待つだけだった。
私はその間、頭の中で父親に話す言葉を整理していた。
だが、なかなか妻の父は現れない。
そんな中でも、別に妻の母親はあせることもないし、兄夫婦も不思議がってはいない。
それどころか、だれも父親を呼びに行かないのだ。
「普通なら呼びに行ってもよさそうなのに・・・」
私はそう思い、待ち続けた。
そして、お茶もぬるくなった頃だった。
やっと父親が現れた。
だが、なかなか私と目線を合わそうとしない。
それどころか言葉すら掛けてこない。
まるで私の存在を無視しているかのようだった。
私は自分のいる場所をなくしていた。
どう自分を繕っていいのかわからない。
そんな時、やっと父親は口を開いた。
だが、それは私にではなく、母親にだった。
「ちょっと出かける用事ができたから、服を用意してくれ」
私は、「エッ?」と思ったね。
今日、私が来るのはあらかじめ分かっていたはずだ。
それもどういう理由で来るのかも・・・
それが、私と目線を合わさず、言葉も交わさず、勝手に「用事ができた」と言う。
私は、「いったいどういうことだ!?」と多少憤慨していた。
だが、母親は、ごく当たり前のように着替えを用意していた。
そして、父親は奥の部屋で着替えると、そのまま玄関から出て行ってしまったのだった。
私は唖然として見送っていると、どういうわけか兄夫婦はクスクスと笑っている。
兄夫婦だけではない。母親も、そして肝心の妻までもがクスクスと笑っているのだ。
そしてその笑い声は大爆笑になってしまった。
私は意味が分からず、一人ポツンとしていると、やっと兄が話しだした。
「いやー、ごめんごめん。最初は、まあこんなもんだ。
次は大丈夫だから・・・」
と、また腹を抱えて笑い出した。
すると今度は母親が、
「いやー、ごめんなさいね。父さん今日は帰ってこないから。
うちでゆっくり晩御飯でも食べていってね」
私はなんとなく分かりかけてきた。
娘を嫁に出すということが、父親にとってどれだけ淋しいことなのか・・・
この時から私は思っていた。
「もし、自分に娘ができ、その娘を嫁に貰いたいという奴が現れたら、その時は絶対に最初はずらしてやろう」・・・と。
娘と宗太が大学院の二年生になると、娘はそのまま大学に残ると言い、宗太は就職が決まり、来年の四月から社会人となって働き出すと言う。
やっと将来的なことが現実味を帯びてきていた。
私は、
「宗太が社会に出て、二〜三年すると、家(うち)に菜美を嫁にくれと言いにくるんだろうな。
その時は、絶対に最初はずらしてやろう」
そう思い始めていたその年の暮れだった。
宗太の携帯に突然悲報が届いたのだった。
聞くと、宗太のお父さんが、仕事中に突然脳梗塞で倒れたという。
すぐに病院に運ばれたが、意識はなく、重体だそうだ。
娘と宗太は、その日のうちに新千歳空港から最終便に乗り、宗太の実家へ向かって飛び立った。
その足で病院に駆けつけると、手術が終わった後で、まだ予断は許されないようだ。
とりあえず、その日は実家に泊まり、翌日、また病院に行った。
すると、医師の話では、「峠は越えたので、まず大丈夫でしょう。
ただ、障害は残ると思いますので、まだまだ予断は許せません」
ということだった。
それでも、命に別状はないということだけでも、宗太の家族はホッと胸を撫で下ろしていた。
そして、まだ意識の混濁している父親に、宗太はいろいろと話し掛けていたそうだ。
それも大きな声で。
すると父親は、理解しているのかどうかは分からないが、何度もゆっくりと、それも大きくうなずいていたと言う。
そして、宗太と娘は、父親の容体が安定したのを見届けてから、札幌に戻って来たのだった。
年が明けた一月下旬。札幌は連日雪が降り続き、街中はすっぽりと綿帽子をかぶったように真っ白な雪で覆われていた。
そんな中、娘はいつもと同じように宗太と映画を観に行き、晩御飯は宗太も家(うち)に来て一緒に食べると言って出かけて行った。
私は、その日は早めに仕事が終わり、食事前ののんびりとした時間を、一人バーボンを飲みながらレコードを聴き楽しんでいた。
すでに外は陽が落ち、真っ暗になっている。
そして、粉雪が舞い出し、街灯に照らされキラキラと輝き出した時だった。
娘は宗太と一緒に帰って来た。
娘は宗太と一緒に居間に入ってくると、なぜか神妙な顔をしてソファーに座った。
まるで他人の家に来ているようだ。
そして、隣に座っている宗太は俯き加減でそわそわと落ち着きがない。
二人ともいつもとは違い、笑顔がまったく見られないのだ。
私も妻も気になってチラチラと二人を見ていた。
すると、意を決したように宗太は立ち上がり、私のところへ来ると姿勢を正して口を開いた。
「おじさん、ちょっと話があるんでこっちに来ていただけませんか?」
なぜか、そう話した顔が引きつっている。
そして、
「おばさんも一緒に来てください」
と、妻にも声を掛けた。
私は妻と目を合わせると、不安なことが頭の中を過ぎった。
妻も同じことを考えているようだ。
「ひょっとしてお父さんの容体が悪化したのか・・・?」
私は宗太の口から出る次の言葉を聞きたくはなかった。
妻も宗太が何を話そうとしているのか、察知しているようだ。
私と妻は恐る恐る宗太の向かいに座った。
重い空気が周りを漂う。
数秒の時が流れたろうか。
その沈黙を破るように宗太はゆっくりとテーブルに両手を置き、背筋を伸ばして顔を上げた。
そして私の目を見て、興奮気味にこう力強く言ったのだった。
「お嬢さんを、菜美さんをボクにください!!」
私は唖然とした。開いた口が塞がらない。
妻も目を見開き出る言葉もないようだ。
そんな私達を尻目に宗太は続けた。
「ボクは菜美と結婚したくてこの地に、札幌に就職を決めました。
これからは菜美と二人でちゃんとやっていく自身があります。
どうか、菜美と結婚させてください!」
そう言って、深々と頭を下げた。
私は、なんと答えたらいいのかまったく分からなかった。
それこそ頭の中は真っ白だ。見事に意表を突かれていた。
それでも気になっていたことを訊いてみた。
「ところで、お父さんの容体はどうなんだ?」
ソファーに深々と座り、やっと落ち着きを取り戻した宗太は話始めた。
「実は、父が倒れた時、ボクは父の枕元でずーっと言い続けていたんです。
『菜美と結婚するよ! 菜美と結婚するからね!』と。
すると父は、まだ意識ははっきりしていませんでしたが、その言葉にだけは力強く『うん、うん』と頷いていました。
そしてこの前、正月明けに実家に戻り、父を見舞ったんですが、その時には意識もほとんど戻り、リハビリも始めていました。
医師の話では、このまま順調にリハビリを続けていけば、時間は掛かるが社会復帰は可能だと言うことです」
私はお父さんの容体が快方に向かっていると言うので、ひとまず安心した。
そして、やっと私も落ち着きを取り戻し、宗太に訊いた。
「ところで、式はどうするんだ?」
宗太は明るい笑顔で答えた。
「六月にしようと思っています」
「六月? 六月って今年の六月か?」
「はい、菜美の誕生日。六月二六日の土曜日にしようと思っています」
私はウッとなった。
いくらなんでも早すぎる。
「ちょ、ちょっと待て、宗太。いくらなんでも早すぎるだろう。
実際に社会に出て、職場にもある程度馴染んでからの方が良いんじゃないか?
でないと、生活設計だって上手くやっていけるかどうか分からないだろう。
それに、お父さんだって今の状態じゃ札幌に来るだけでも大変だ。
万が一のことが起きたら取り返しがつかないぞ!?」
私のそんな心配事をよそに、宗太は続けた。
「生活のことなら自信あります。
その辺のことは、いつも菜美と話し合っていますから。
それに父のことでしたら大丈夫です。
この前、実家に戻った時に、もう一度話したんですが、大変喜んでいました。
式には車椅子に乗ってでも出席すると・・・」
私は腕組みをし、暫し考え込んでしまった。
どうやら私と妻の知らないところで、話がトントンと進んでいたようだった。
私はおもむろに訊いてみた。
「ところで式場は?」
今度は菜美と二人で答えた。それも満面の笑顔で。
「藻岩シャローム教会!」
式場まで予約していたようだ。
もう、私は頷くしかなかった。
ただ、ちょぴりだが私の心の片隅に、できなかったあの『一度目はずらしてやろう』という茶目っ気が、ほんのりと悔やみとして残っているのだった。
四月には結納も無事に済ませ、後は結婚式を待つだけとなっていた。
札幌の街中からは雪が消え、木々が芽吹き、真っ白な辛夷の花が咲いている。
この頃、娘を三人持つ妻の兄が私に言った言葉が、今でも強く印象に残っている。
それは、
「おまえな〜。娘を嫁に出すのはいいんだけど、籍を抜かれた時は本当にショックだぞ。
それは覚悟しておいた方がいい」
という話だった。
私は別にこの時は、さほど気にはしていなかった。
そして、桜の季節が終わり、紫色のライラックが街中に咲き乱れている六月中旬。
その日はリラ冷えで小雨が降り、朝から肌寒い日だった。
私は残業で遅くなり、疲れた足を引きずるように玄関を開けた。
すると、宗太のスニーカーがある。
例の一際でかいやつだ。
それも例の如く玄関のど真ん中に鎮座している。
私は、いつものように、「家(うち)で飯を食いにきたんだな」と、そう単純に思っていた。
そして、居間に入ると、なぜか娘と宗太はニコニコしながら私を見つめている。
そして娘は、開口一番こう言った。
「お父やん、もう籍入れたから。
ほれ、これ新しい謄本」
テーブルの上に新しい戸籍謄本が載っていた。
私は前もって先に籍を入れるという話は聞いていたので、別に驚きもしなかった。
ただ、その謄本を見た時、当然のことなのだが、戸籍筆頭者は『東原宗太』になっていた。
そして本籍も新しく借りたマンションの住所になっている。
ここで私は義兄の言葉を思い出した。
筆頭者が宗太の名前になっているということは、もう、家(うち)の籍からは抜けたということだ。
我家の謄本は取ってはいないが、そこには娘の名前は除籍ということになっているのは明らかだった。
私はなぜか素直に喜べなかった。
一瞬、娘と縁が切れたようにさえ感じていた。
本当にショックだった。
そしてこの頃からだったと思う。
娘が我家のことを、『実家』あるいは『古田家』と呼ぶようになってきたのは。
それを聞いているうちに、段々と淋しさだけが募っていく自分だった。