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遠い記憶

 

 どれくらいの時間が経ったのだろう・・・

遠くでクマゲラの鳴声がする。

母方の実家、深川の音江で良く聞いた鳴声だ。

龍介は懐かしい思いで、目が覚めた。

頭上で「ピーッ」という鋭い鳴声がした。

見上げると平和塔の先端に一羽のヒヨドリがいる。

この時、やっと気づいた。

いつのまにか夜が明け、吸い込まれそうな青空が広がっている。

「朝だ・・・」

 龍介は周りを見渡した。

幸太郎、広子、彰、梨絵、そして菜美。皆横たわったままだ。

「コウタロウ、アキラ、みんな起きろ!! 朝だ、夜が明けている!!

 一番初めに起きたのは彰だった。

眠そうに目を擦りながら身体を起こした。

「ヤッベー、一晩ここに居たのか? まずいぞ、皆心配している。早く帰らねーと」

 声が聞こえたのか、皆は次々と起きだした。

広子も眠そうに目を擦っている。

「お兄ちゃん、どうしたの?」

「大丈夫だよ、ヒロコ。ここでお泊り会しちゃったみたいだ」

「ここで寝ちゃったの?」

 周りを見渡すと、鬱蒼とした森が風にそよぎ、サワサワと揺れている。

幸太郎は広子を抱き起こすと、全員が立ち上がった。

皆周りを見渡している。

「本当にここで寝ちゃったんだろうか。なんか信じられない・・・」

 菜美は一晩ここにいた、という事が全く信じられないようだ。

それは皆も同じだった。

気がついたら朝になっていた。それだけだった。

「早く帰ろう!」

 龍介の声に全員が山道を下り始めた。

 

 途中、森が途切れ、上空にぽっかりと穴が開いたように青空が広がっているところがある。

来る時には分からなかった。

そこを通り過ぎようとした時、麓のほうから「ゴーー」という音が上空に響いてきた。

ロープウエーだ。

少年達は立ち止まり、見上げた。

しかし、全員が訝しげな目をしている。

彼らの頭上を通過しようとしているのは、見慣れた大型のゴンドラではなかった。

8人乗りだろうか、かなり小さい。それもゆっくりと登って行く。

「なんだ、あれ? いつからあんなに小さくなったんだ?」

 彰が見上げながら呟いた。

この時、龍介は父、莞爾の少年時代の話を思い出した。

莞爾が中学生の頃は冬になるとスキーを担いで小さなゴンドラに乗り、藻岩山の山頂から反対側の南斜面にある、市民スキー場へ滑りに行った。そして帰りはロープウエー下の北斜面を滑り、そのまま家までスキーを履いて帰って来た。

今では到底考えられない話だった。

その時のゴンドラはこれぐらいの大きさだったのだろうか。

ふとそう思ったがこの時は別に気にもしなかった。

「あのゴンドラは試運転じゃないか?」

 幸太郎の言葉に全員が納得した。

少年達は又、山道を下り始めた。

しばらく行くと、「メーー」という鳴声がする。

山道の左側に広がっているであろう広場に、枝葉の隙間から白いものが動くのが分かる。

葉をよけて覗き見ると、数頭の山羊が草を食んでいる。

「こんなところに山羊なんかいたか?」

 彰が振り返り訊いた。

全員が首を横に振った。

「ここの広場は時々来るけど、山羊なんか見た事ないぞ。

昨日だっていなかったよな?」

 今度は全員が頷いた。

何かがおかしい・・・ 不思議な事が起こっているようだ。

「とにかく・・・ 早く下りよう」

龍介の言葉に全員が小走りに駆け出した。

胸の奥底にあるざわめき感。

得体の知れぬ不安感。

それらが徐々に彼等の足を速めた。

 三重の塔に着くとホッとしたのか全員が胸を撫で下ろし、息を整えている。

やはり、この山道は何処かに通じる怪道だったのか?

龍介は山道を振り返りながら三重の塔の前に出た。

「あれ・・・?」

 龍介は一瞬自分の目を疑った。

昨日まで山肌一杯に広がっていた広大な墓地が、今日は目の前に小ぢんまりとあるだけ。

「どういうことだ?」

 呟くと梨絵が悲鳴のように叫んだ。

「うちがない!!

「お兄ちゃん、うちのマンションもないよ!!

広子も同じように叫ぶ。

全員が墓地の向こうに広がる札幌の風景を見て愕然としている。

マンションも高層ビルも無くなっている。

あるのは三角屋根の木造住宅が点在し、広いグラウンドを備えた学校が見えるだけだ。

遠く大通り公園の端にテレビ塔がそびえ立ち、その周りに数棟のビルがある。

昨日までの風景とは全く違っていた。

「いったいどうなっているんだ? マンションや高層ビルがなくなっている。

テレビ塔があんなに大きく見える。

今まで高層ビルの陰に隠れて見えなかった筈なのに・・・」

 龍介の頭の中は真っ白になっていた。

どこがどうなっているのか・・・ 全く考えがまとまらない。

「お兄ちゃん、マンションがなくなっちゃった。おうちがなくなっちゃったよ。

もう帰れないよ。どうしよう!」

 今にも泣き出しそうな広子は幸太郎のシャツを両手で掴み叫ぶように言う。

幸太郎は抱き寄せ、背中をさすりながら言った。

「大丈夫だよ、ヒロコ。絶対に帰れるから。大丈夫だから」

 この時、幸太郎の頭の中にあることが浮かんだ。

「そうだ、リュウスケ。お前の家見えるか? リュウスケの家は一軒家だろ?」

 ハッとした龍介は自分の家を探した。

龍介の家は雪対策の為、無落雪の平らな屋根になっているはずだ。

しかし、見えるのは昔ながらの三角屋根の住宅ばかりだった。

「だめだ、俺ん家(ち)もない」

 力なく漏らした。

「ねえ、ここでああだこうだ言っても仕方ないから下りてみようよ」

 気丈な菜美が言った。

「ああ、そうだ。とにかく下りよう」

 彰もそう言うと、全員が墓地の中を寺の境内に向かって下りだした。

すぐ横を「ゴーー」という音を残してゴンドラが登って行く。

見上げるとやはり小さなゴンドラだった。

しかも、今度は人が乗っているのがはっきりと見える。

試運転ではないことは確かなようだ。

途中、下りながら彰がしきりと墓の裏側を見ている。

何か気になるようだ。

「アキラ、どうしたんだ?」

 龍介が声を掛けた。

「墓の裏側を見てみろ」

「墓の裏がどうかしたのか?」

「建てられた年代が書いてあるだろ」

 龍介は言っている意味が良く分からなかった。

「それがどうかしたのか?」

 話しながらも彰は次々と墓の裏側を見て回っている。

そして、立ち止まると大きな声で言った。

「ここにある墓はすべて昭和に建てられた墓だ!

平成の文字はどこにもない!」

 全員の足が止まった。

お互いに顔を見合わせると、それぞれ近くの墓に歩み寄った。

皆墓の裏側を見ている。

確かに・・・ 平成に建てられた墓は何処にもなかった。

「どういうことだ?

昨日までいなかった山羊がいたり・・・

ゴンドラが小さくなっていたり・・・

墓地もこぢんまりとしている・・・

それにマンションや高層ビルがなくなっている」

 この時、龍介はまた莞爾の少年時代の話が頭の隅を過ぎった。

「まさか・・・・」

龍介は携帯を取り出した。

「だめだ、圏外になっている。皆、携帯使えるか?」

 それぞれに携帯を取り出す。

しかし、全て圏外の表示で使える携帯は無い。

「お兄ちゃん、どうして携帯が使えないの?」

 広子は幸太郎のシャツを引っ張り、不安そうに訊いた。

「さあな、電話会社のトラブルだろう」

 幸太郎が軽く受け流すと、携帯を見つめていた菜美が言った。

「とにかく下りよう。山を下りて確かめなきゃ」

 菜美の頭の中にも、父、莞爾の少年時代の話が浮かんでいた。

 

 寺の境内を抜け正門を通り、ロープウエーの山麓駅につながる下り坂に出た。

下からエンジンを唸らせ、急な坂道を、身をくねらすようにボンネットバスが上がってくる。

山麓駅で止まると中央の扉が開き、中から白い開襟シャツに濃紺の制服を着た小柄な女性が降りてきた。

背筋を伸ばし、肩からは黒く小さな皮製のバッグを提げている。

その女性はバッグを開けると、降りてくる乗客から料金を受け取っていた。

「こんなバス、初めて見た。なんか、アニメの映画に出てきた猫バスみたいだ。

それに、あの女の人は誰だ?」

 初めて見る光景に龍介は菜美に訊いた。

「あの人は車掌さんだと思うわ。ほら、古い映画で見たことあるでしょう。父ちゃんも乗ったことあるって」

 龍介達は立ち止まり、何故か懐かしい思いでボンネットバスを見ていた。

まるで映画の一場面でも見ているかのように・・・

 最後の乗客が降りると、また車掌がバスに乗り込んだ。

人差し指で前後を確認する。

「発車オーライ!」

透き通るような声で言った。

バスはエンジンを吹かすとUターンをして坂道を下りていく。

走り去るバスを見ていた時、またもや龍介達は目を見張った。

「ここも変わっている・・・」

 山麓駅はそのままだったが、その向かいにある駐車場が遊園地になっていた。

回転木馬にゴーカート、それに小さな遊具があちこちにある。

その横を通ると、中学生らしき少年達がゴーカートで一周のタイムを競い合っている。

「これもそうだ・・・このゴーカートも・・・」

 父、莞爾が話していた光景だった。

莞爾も中学生の頃、よくここでゴーカートに乗り、友達とタイムを競っていた、と話していた。

 龍介は思い出してきた。

莞爾の話の通りだと、この辺は根っこ山と呼ばれ、この下り坂を右に曲がると小さな池がある。

そしてその先には畑が広がっているはずだ。

 龍介達は坂を下り、右に曲がった。

あった・・・ 確かに小さな池がある。

周りを畑に囲まれた小さな池が・・・

「環状線がない!」

誰かが言った。

畑は環状線があった場所まで広がっている。

龍介達は立ち止まり、周りを見渡した。

「同じだ・・・ なにもかも・・・ 父ちゃんが話していた通り・・・」

 龍介が一人で呟くと、横にいた菜美も頷いた。

 後ろの方で水の音がする。

誰かが池の中に入ったようだ。

池の底にある石をひっくり返している。

石をよけると何かが動いた。

「リュウスケ、見ろよ!」

 幸太郎だった。

「ザリガニか?」

 龍介は振り向きもせず、さりげなく言う。

「見もしないでどうして分かるんだ?」

 幸太郎は素っ頓狂な顔をしていた。

あの池も莞爾がザリガニを捕って遊んだ池だった。

「とにかく行こうよ」

菜美が言った。

「行くって、どこに?」

 龍介が訊くと菜美は当たり前のように答えた。

「うちに決まっているでしょう」

「うち?って、さっき上から見て、無くなっているのが分かっているだろう?」

「無くなったのは新しい家でしょ。建て替える前の古い家があるかもしれない」

「姉ちゃん・・・」

 龍介は菜美の考えがすぐに分かった。

 

 龍介達は畑を抜け、住宅街に入って行った。

どの家も三角屋根で庭が広い。

 時折、車が通る。

だが、どの車も龍介達には見た事も無い車ばかりだ。

全体的に丸みを帯びている。

その中に一際目立つ小さな車が走って来た。

真っ赤に塗られたその車は、まるでおもちゃのように小さい。

ピカピカに磨き上げられた車の中には親子四人が乗っている。

皆お行儀が良い。

特に後ろに乗っている女の子二人は、きちんと両手を膝の上に置き、前を向いて座っていた。

「あの車・・・」

 見送るように見ていた菜美に龍介は言った。

「あれ・・・ 亡くなった爺ちゃんが若い時に乗っていたという奴じゃないか?

父ちゃんが小さい頃、後ろに乗っていた写真があったろ」

 2サイクルエンジン特有のプスプスという音を残し、青白い排気を吐きながら走り去る車を見ていると、幸太郎が口を挟んだ。

「あれはスバル360だ!」

 さすがに車に詳しい幸太郎だ。

ウンチクが始まった。

「あいつは和製ビートルと言って、てんとう虫の愛称で親しまれた名車中の名車だ。

どうしてあんなのが走っているんだ?

それも新車みたいだ。

それにさっきはキャロルが走っていた。

どこかでクラシックカーのフェスティバルでもあるのか?」

 周りを見渡しながら歩いていると、中学校の前まで来た。

学校は変わっていなかった。

ただ、建てられたばかりなのか、壁が真っ白だ。

それに選挙用のポスターを貼ってあった掲示板もない。

「中学校はちゃんとあるな」

 彰がまじまじと見ながら言う。

「でもやけに新しいぞ。出来たばっかりみたいだ」

 幸太郎も同じように校舎を見ながら言った。

横にいる広子がチョンチョンと幸太郎のシャツを引っ張る。

「お兄ちゃん、喉が渇いた。なんか飲みたい」

 小さな声で言った。

「俺も腹減ったな。コンビニでも寄ってっか」

 幸太郎はコンビニを探した。

だが、それらしきものは何処にもない。

中通を右に曲がる。

しばらく行くと角に小さな食料品店があった。

幸太郎は入ろうとしたが、入り口の前で立ち止まった。

ドアが開かない。

後ろにいた菜美が引き戸を引いた。

「あれ? 自動ドアじゃない」

 幸太郎は呆気にとられながら中に入った。

すえた臭いが鼻をつく。

薄暗く、どこに何を置いてあるのかさえ分からない。

店の奥にはガラス戸があり、その向こうに明かりが灯っている。

茶の間のようだ。

ガラス戸が「ガラガラ」と音を出して開くと、店の主人が出てきた。

食事中だったのか、楊枝で歯をすいている。

「いらっしゃい」

 機嫌が悪いのか愛想がない。

「あのー・・・ コーラ下さい」

 幸太郎は恐る恐る言った。

「コーラ? なんだそれ? そんなもんうちには無いよ」

「エッ? ない・・・?」

 どこの店でも売っているはずのコーラがない。

幸太郎は信じられなかった。

「じゃあ、ポカリ」

「ポ・・カ・・リ・・・? それもない!」

 ポカリスエットも無いと言う。

それにしても店の主人はかなり不機嫌だ。

「あのー・・・ じゃあ何か飲みものはありますか?」

「牛乳ならある」

「エッ? どこに?」

「そこ!」

 主人が指差した先にはちいさな縦型の冷蔵ケースがあった。

その中にビン入りの牛乳と同じビンに入ったオレンジ色の飲み物がある。

「これなんですか?」

 幸太郎はオレンジ色の飲み物を指した。

「フルーツ牛乳だろ!」

 主人は当たり前の事だ、と言わんばかりだ。

「じゃあ、それください。それと梅と鮭のおにぎりを一個ずつ」

 おにぎりと聞いて主人の顔色が変わった。

「おにぎり!? そんなもん売っているわけないだろ!

おにぎりは母ちゃんに作ってもらえ! パンならある」

 主人は段々と怒り出した。

「パンってどんなパンですか?」

「アンパン、ジャムパン、クリームパン!!

 頭の上から湯気が出てきそうだ。

「じゃあ、ジャムパンとクリームパンを一個ずつ」

 主人はレジスター横の台の上にフルーツ牛乳とジャムパンとアンパンを置いた。

「全部で三百円」

 幸太郎は小銭入れから五百円玉を取り出し渡した。

この時、主人の怒りは頂点に達した。

「おまえ、どこ迄おれをバカにしているんだ!? こんな偽金よこすとは何事だ!!

 幸太郎にはどうして主人が怒っているのか全く分からない。

「なに言っているんですか、ちゃんとした五百円玉じゃないですか」

「おまえ! いいかげんにしろ!! 五百円は札だろ!!

 幸太郎はただ口をポカンと開けているだけだった。

とっさに菜美が百円玉を三枚渡した。

「ごめんなさい。これでお願い!」

 主人は百円玉を確認するとレジスターに入れた。

 

 店を出ると広子にフルーツ牛乳とジャムパンを渡しながら、幸太郎がブツブツと文句を言い出した。

「どうして五百円玉出して怒られなきゃならないんだ? 怒る前に釣りの二百円を返すのが当たり前だろ」

 横を歩いていた菜美がさりげなく言った。

「この時代に五百円玉はないのよ。五百円はお札なの」

「エッ? どういうことだ? それって?」

 幸太郎と彰が同時に振り向いた。

どう言うことが起こっているのか二人にはまだピンときていないようだ。

「もうすぐ分かるわ・・・ もうすぐ」

 菜美はそう言いながら歩き続けた。

 通りを歩いていると、道行く人が皆振り返る。

どうやら龍介達は目立つようだ。

カラフルなTシャツに長めの半ズボン。足元にはストライプ入りのスニーカーを履き、全員がスポーツバッグを提げている。

どう見ても地元の子には見えない。

「俺達目立つのかな〜」

 龍介が呟くと菜美が笑いながら言った。

「フフッ、そりゃそうよ。見てごらん。皆地味だから。

それと比べりゃ、かなり派手よ。私たちって」

 確かに菜美の言うとおりだった。

龍介達のように原色の色彩を着こなしている者はいない。

 龍介がキョロキョロと周りを見ていると、一番後ろにいる彰が電信柱をパチンパチンと叩きながら歩いている。

「リュウスケ、見ろよ、この電信柱。全部木で出来ている。どこを見てもコンクリートで出来ている電信柱なんか一本もないぞ」

 龍介は振り返りながら思った。

「そうだ、昔の電信柱は全部木で出来ている。

父ちゃんの言うとおりだ」

 

 十四条通りを渡り、次の中通の角に来ると菜美の足が止まった。

全員が立ち止まる。

この中通に龍介と菜美の家があるはずだ。

龍介は中通りに並ぶ家を一軒一軒眺めた。

しかし、見覚えのある家は一軒もない。

「姉ちゃん、やっぱりないよ」

 龍介は呟く。

しかし、菜美は中通りの真ん中にある、赤い三角屋根の家に目が止まった。

玄関前にクリーム色のスバル360が止まっている。

「あったわ。あの家よ」

 菜美に言われて、龍介はその家を見るが、まったく記憶にない。

「姉ちゃん、俺全然覚えてない」

「そりゃそうよ。今の家が建ったのはリュウスケが生まれた年よ。

あの家が、いくら私が生まれた家だって言われても、さすがに私も覚えていない。

でも写真で見て知っていたんだ。間違いなくあの家よ。屋根の赤い・・・」

 龍介たちがその家を見ていると、玄関から一人の少年が出てきた。

髪を短く刈り込み、白いランニングシャツに短パンをはいている。

追うようにして一人の女性が出てきた。

母親のようだ。

着物に白い割烹着を着ている。

「カンちゃん、ハンカチ忘れたわよ。ほれ」

 聞き覚えのある声だった。

 少年はハンカチを受け取ると、物も言わず無造作にポケットに押し込んだ。

そしてそのまま走り去った。

この一部始終を見ていた龍介と菜美は顔を見合わせた。

薄々分かってはいたが、現実を見せつけられると言葉がない。

しばらくして龍介が口を開いた。

「姉ちゃん、今のは・・・」

 菜美は頷くと言った。

「父ちゃん・・・ と、おばあちゃん・・・」

 二人の会話を聞いていた彰と幸太郎が近づいてきた。

「今なんて言った?」

「たしか父ちゃんとおばあちゃんって聞こえたけど・・・

どういうことだ?

今、出て行ったのは俺達と同じぐらいの年じゃないか? それに見送っていたのはあいつのお母さんだろ?」

彰が言うと龍介は向き直った。

「ああ、たしかにあいつのお母さんだ。そして俺のおばあちゃんでもあるんだ」

彰と幸太郎は顔を見合わせた。薄々分かってきたようだ。

菜美が真顔で話し始めた。

「みんな、よく聞いて。今、出て行ったのは中学生の頃の父ちゃん。そして見送っていたのは若い時のおばあちゃん。つまりここは・・・・」

 幸太郎が口を挟んだ。

「タイムスリップしたのか? 父ちゃん達が中学生だった頃の時代に!」

 龍介と菜美はゆっくりと頷いた。

全員が固まったように動かない。

しばらくの間を於いて最初に口を開いたのは彰だった。

「どうするんだ? これから・・・

一応あのおばあちゃんに会ってみた方が良いんじゃないか?」

 菜美が首を横に振った。

「いいや、それは止めたほうが良いわ。

話しても理解出来ないだろうし・・・

それにパニックになったら大変。

私達はこの時代にはいない人間なのよ」

「じゃあどうする?」

 彰が訊くと龍介が答えた。

「とにかく戻ろう」

「戻るってどこに?」

「今来た道を・・・」

 龍介達は祖母に会う事もなくそのまま引き返した。

戻ると言う当てもなく・・・

 


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