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少年期

 

 家を出た莞爾は中学校に向かった。

今日は部活でやっているバレーボールの練習がある。

途中、駄菓子屋の前を通った。

店先で五歳位だろうか、おかっぱ頭の女の子がラムネ菓子を食べていた。

菓子袋を見るニンマリとした笑顔からは鼻水が一筋、垂れていた。

時々、右手の甲で拭うようで、手の甲は乾いた鼻水でカペカペだ。

 横の路地では男の子が面子(めんこ)やビー玉遊びに興じている。

莞爾も子供の頃は良くやった遊びだ。

その中に、端の方で両目を拭いながらグスグスと泣いている小さな男の子がいた。

隣に住む健太だった。

 莞爾は歩み寄ると、中腰になり声を掛けた。

「ケンタ、どうしたんだ?」

 グスグスと泣くだけで、喋ろうとしない。

「黙っていたんじゃ分からないだろう。どうした?」

 健太は時々シャックリをしながらやっと話し出した。

「全部・・・ ヒック・・・ 全部なくなっちゃった・・・ ヒック・・・」

「無くなったって・・・ ビー玉か?」

「・・・ うん ・・・」

 どうやら勝負に負けたようだ。

「負けちゃったんならしょうがないだろう」

 莞爾は諭すように言うが、健太は納得がいかないようだ。

「でも・・・ ぼく・・・ あれしか持ってないから・・・ ヒック・・・」

 しょうがないと思った莞爾は、右手でポケットの中を弄るとある物を確認した。

小さな黒ビー一個と、取って置きのデカビー一個。

小さい頃からお守り代わりにポケットの奥に忍ばせて置いたものだ。

「こいつはもうケンタにやるか」

 そう思うと莞爾は立ち上がった。

「ケンタ、ちょっと待っていろ。負けたのは何個だ?」

 健太は指を三本出した。

莞爾はニヤッと笑うとビー玉遊びをしている子供達に歩み寄った。

「なあ、お兄ちゃんにもやらせてもらえないか?」

 子供達は当然のように嫌な顔をした。

それもそうだ。中学生相手にかなうわけが無い。

そこで莞爾は言った。

「なあ、一回だけで良いんだ。たったの一回だけ。

それにこいつならどうだ?」

 莞爾は取って置きのデカビーを取り出した。

そのデカビーは陽に当たると透き通り、時折紫に輝いている。

子供達は目を見張った。

めったにお目にかかれないデカビーだ。

上手くいくと自分達のものになる。

ガキ大将風の男の子がニヤニヤ笑いながら言った。

「いいよ。その代わり一回だけだよ。本当に一回だけだからね!」

 丸く描かれた場の中に五個の黒ビーが置いてある。

場代として置いてある参加者の黒ビーだ。

莞爾も場代として黒ビーを置いた。

そして5メートル程離れた所に引かれている直線の外側に立った。

デカビーを右手に持ち、慎重に狙いを定める。

同時に三個の黒ビーを場の外に出さなければならない。

そして何よりも大事なのは、デカビー自身も場の外に出なければならない。

場の中に留まってしまうとデカビーは相手に取られてしまう。

 莞爾は一度手を下ろし、深呼吸した。

「フーッ」と息を吐くと、もう一度狙いを定める。

横では健太が心配そうに見ている。

慎重に角度を決めると、一番手前の黒ビー目掛けて莞爾は投げた。

デカビーは次々と黒ビーを弾き飛ばす。

三個目の黒ビーを弾いた後、デカビーは急に速度を落とした。

コロコロとゆっくりと転がっている。

今にも止まりそうだ。

誰もが場の外には出ない・・・ と思っていた。

しかし、最後の一回転で何とか場の外に出た。

「ヤッター!!

 健太は両手を上げバンザイをしている。

莞爾はゆっくりとビー玉を拾うと、健太に黒ビー三個と、取って置きのデカビーをそっとその手に握らせた。

「ケンタ、このデカビーもお前にやる。こいつは絶対に手離すなよ」

 健太はデカビーを見ながら目を輝かせていた。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 莞爾はニヤッと笑うと、また学校に向かった。

 

グラウンドに着くと、日の陰った体育館の裏で数人がたむろしていた。

車座に座り、真ん中に置いてある丼にサイコロを投げ入れている。

「チンチロリン」という音がした。

又博打をやっているようだ。

彼らは隣の中学校の柔道部員だが、部活に参加する事は殆ど、いや、全くと言って良いほど無かった。

町内でも名うての悪で通っている。

その中に一際身体の大きい奴がいた。

竹田正和。腕力に関しては町内一だった。

 莞爾は彼らに悟られないようにグラウンドの端を通って体育館に行こうとした。

ジリジリとした日差しが暑い。

ハンカチを取り出し、額に吹き出る汗を拭おうとした時、正和の両脇に座っている細身の少年達が目に入った。

黒岩哲と林幸二。同じバレーボール部員だ。

何も言わず、ただ下を向いている。

そして時々正和に促されるようにサイコロを放り込んでいる。

「チンチロリン」

サイコロが鳴ると、正和の大きな笑い声が聞こえた。

正和が右手を出すと、その手にお金を渡している。

無理やり誘われ、巻き上げられているようだ。

 莞爾は一瞬このまま通り過ぎようとした。

かなう相手ではない。

自分も巻き込まれるのは真っ平御免だ。

しかし、踏み出した足が止まった。

このまま行っても良いのか?

巻き上げられているのは同じバレーボール部員だ。

莞爾は迷った。

もう一度正和を見ると、サイコロを放るよう嫌がる相手を肘で促している。

意を決した莞爾は正和達に近づいた。

 気が付いた正和は振り向きにっこりと笑った。

「ようカンジ。おめーも一緒にやろうや。面白れーぞ。まあ、ここ座れ」

 正和は腰をずらし、空いた席をポンポンと左手で叩いた。

しかし、莞爾は無視するように言った。

「テツ、コウジ。部活の時間だ。もう行こう」

 哲と幸二は莞爾の顔を見るとホッとしたようだ。特に幸二は今にも泣き出しそうな顔をしている。

だが、正和は違った。

急に形相が変わるとゆっくりと立ち上がった。

莞爾よりも頭一つ大きい。

上から見下ろし、射抜くような目で話し始めた。

「ちょっと待てや、カンジよう。今、皆で楽しんでいる所だろう? どういう事だ?」

 段々と口調が激しくなる。

「折角、良いとこなのによ! おめー邪魔すんのかよ!?

 莞爾は目を合わす事もできず、下を向いたまま、膝がガクガクと震えている。

立っているのがやっとだ。

それでも何とか口を開いた。

「じゃ・・・ じゃまするつもりはない。

ただ・・・ 部活に行かなきゃ」

「部活、部活って、そんなに部活が大事かよ! え〜? 俺達より部活のほうが大事だって言うのか? あ〜? それはねえだろう。部活よりもっと楽しいことしようや。な〜」

 そう言いながら正和は莞爾の肩に右手を回そうとした。

しかし、莞爾はその手を払った。

瞬間、正和は切れた。

「おめー!!

 言うのと同時に莞爾を突き飛ばす。

他の連中も立ち上がり、三人を取り囲んだ。

「おめーら、いい加減にしろや。こっちが優しく言っているのに何か? 無碍にしようってのか? それはねえよな〜 そんなに部活に行きてーんなら、置いてくもん置いてけや」

「な、なにを置いていけば良いんですか?」

 幸二は小声で言った。

「そこまで言わすのかよ! 自分で考えろや」

哲も幸二もなす術がない。

この時、校庭に面している道路から一部始終を見ていた少年達がいた。

その中の一人が走り寄って来る。

「止めろ!!

「なんじゃあおめー!」

 正和が振り返るとカラフルなTシャツに長めの半ズボンをはいている。

見慣れない奴だった。

「おめー誰だ? この辺じゃあ見かけねえな〜」

「止めろといっている。聞こえないのか?」

 正和が詰め寄っても平然としている。

「うるせーんだよ!!

 正和が掴みかかろうとしたその瞬間、少年は足払いを掛けてきた。

「バシッ」

正和は簡単に地面に転がっていた。

しかし、柔道をやっているせいか受身を取っている。

「やるな〜 おめー」

 正和は土埃を払うとゆっくりと立ち上がった。

起き上がった顔は鬼の形相になっている。

「ヘッ、ヘッ、ヘッ」

 薄ら笑いが不気味だ。

少年はスーッと下がると間合いを空け、半身に構えた。

「なんだ〜 おめえ。おめえ、なんかやっているのか?」

 正和は首を傾げ訊くと、少年はフッと笑った。

その時、校舎の方から大きな声がした。

「こらー!! 何をやっているかー!!

 怒鳴りながらこちらに向かって来る。

生活指導の先生だった。

「チッ、いいとこなのによ。邪魔が入りやがった」

 正和は舌を鳴らすと仲間たちを集め、去っていった。

「お前たち大丈夫か?」

息を切らせながら生活指導の先生は言った。

「え、えー、大丈夫です」

莞爾はうつむき加減に答える。

「本当か? マサカズに何かやられたんじゃないのか?」

「いえ、別に・・・ 何も・・・」

 莞爾は正和の報復が怖かった。

しかし、それ以上に今の莞爾には先程の少年の事が気になった。

あの足払い。あれは柔道技ではない。一発で正和を簡単に転がした。

そして、あの構え・・・

あの構えは・・・ 空手か?

莞爾は少年を探したがすでに姿を消していた。

 

「リュウスケ! あんたちょっとやりすぎよ! 私たちはこの時代にはいない存在よ! どうするの、あんなことして・・・ もう!」

 菜美が歩きながら怒ったように言う。

「そんなこと言ったって、やられていたのは父ちゃんだぞ。

見てられねーだろ。

それに一緒にいたのはテツとコウジって言っていたろ?

アキラとコウタロウの父ちゃんじゃねえか?」

「ああそうだ。確かに父ちゃんだった。三人とも中学の同級生だったからな

それにしてもあんなにひ弱だったとはな・・・」

 幸太郎が呟くように言うと彰が口を挟んだ。

「それにあのでっかい奴。マサカズって言っていたよな。ひょっとして竹田先生じゃないか?」

「ああ、多分そうだ。中学生の頃はこの辺のバカ大将で有名だったって聞いたことがある。それに中学生の時から博打好きとはな・・・」

 龍介は呆れたように呟いた。

 あてもなく歩いていると、「ミーン、ミーン」という蝉の声が暑さを増幅させる。

皆疲れたように俯き加減だ。

出る言葉もない。

龍介は周りを見渡した。大きな木があちこちにある。住宅街でも蝉が鳴くはずだ。自分達の時代では考えられない。

十九条通りを右に曲がると、畑の側で子供たちが白い虫捕り網を持って、虫を追っている。

池の中ではザリガニやタニシを捕っている者もいる。

遠いふるさとが、ここではすぐ目の前にある。

「ここって結構いいかもな」

 ふとそう思った。

 


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