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平和塔

 

 翌日は、朝からうだるような暑さだった。

強い日差しがジリジリと、突き刺さるように降り注ぐ。

それは、夕方になっても収まる気配はない。

 道場に向かった龍介は西の空を見上げた。

何故か沈み行く太陽が黄色く見えた。

「押忍」

ドアを開けると十人ほどの門下生が来ていた。

彰と梨絵、幸太郎と広子、そして菜美も既に来ている。

だが・・・ 何故か皆元気がない。

「どうしたんだ?」

 龍介が声を掛けると菜美が言った。

「先生が来ていないのよ」

 奥の方を見るとソファーに寝転がっているはずの竹田がいない。

「電話を掛けても出ないし・・・」

「ああ、俺が電話しても出ねーよ。メールしても返ってこないし」

 彰も同じように言う。

試しに龍介も携帯を取り出し電話してみた。

「・・・ あ、先生・・・ 押忍・・・ 押忍・・・」

 短い一言で電話は切れた。

「先生と繋がった? 何て言っていたの?」

 菜美が詰め寄るように訊いてきた。

「始めていてくれって」

 龍介は半ば呆れたように首を横に振りながら携帯をしまった。

「どこにいるんだ?」

 幸太郎が訊いてきた。

「なんだかすげー騒々しいとこみたいだ。うるさくて声がよく聞き取れなかった」

 龍介が答えると菜美が言った。

「どうせ又、ススキノのカジノじゃないの?」

 龍介は頷くと言う。

「今日はもう自主練にしよう。こんなに暑くちゃやる気になんねーよ。それに先生もいねーし・・・」

 龍介は皆の前へ出ると大きな声で言った。

「今日は自主練にする! 皆、それぞれ形の練習をするなり、基本組手の練習をするように! 押忍!」

「オース!」

 返事が帰って来ると、龍介は彰と幸太郎に目配せをしてドアの外に出た。

三人でヒソヒソと何かを話し合っている。

「チョット、あんた達! 何コソコソやっているのよ! 練習はどうしたの、練習は?」

 菜美に言われると、龍介はふてくされ気味に言った。

「これから自主練に行くんだ」

「行くって、どこにいくのよ!? 道衣も着ないで!」

一つ年上の菜美には三人とも逆らえない。

幸太郎がポツリと漏らした。

「実は肝試しに行こうかと・・・」

「肝試し? どこに?」

「平和塔・・・」

 平和塔と聞いて菜美は思い出した。

平和塔とは藻岩山の中腹にあるドーム状の白亜の塔だ。

そこに行くには麓にある寺の境内を通り、山肌にある墓地の中を抜けて山道を登って行かなければならない。

しかも毎年お盆が近づくと墓地の中は幽霊で溢れ、霊界との出入口迄できているという噂が小さい頃からあった。

 菜美の顔がニッと笑った。

暑い日の夜にはピッタリの自主練だ。

「私も行く」

 小さく言った。

すると菜美の後ろからも同じように小さく、

「私も行く」

と言う声がした。

一つ年下の梨絵だった。

 龍介、彰、幸太郎の三人は「しかたねえな」と言うように頷いていると、更に後ろから声がした。

今度は大きい。

「わたしも行くー!!

 振り返ると両手両足を踏ん張り、仁王立ちしている広子がいた。

広子は小学三年生。さすがに兄の幸太郎は言った。

「ヒロコ、おまえはまだ小さいから道場にいなさい」

「ヤダーッ! わたしも行くー!!

 頑として譲る気はないようだ。

「コウタロウ、私もリエも行くんだから一緒に連れて行こうよ。

かわいそうだよ、一人で道場に置いておくのは」

 菜美がそう言って広子の前にしゃがみ込むと手を取り言った。

「ねえヒロコ、ひとつだけ約束。絶対に皆から離れちゃだめ! 必ず皆と一緒にいること! できる?」

 広子は菜美の顔を見つめてニンマリと笑った。

「うん」

「よし、それじゃあ行こう」

 菜美が立ち上がると六人の少年少女達は道衣をスポーツバッグに入れたまま、着替えることなく道場を後にした。

 

 十五分ほど歩くと環状線に出た。

日はとっぷりと暮れ、行き交う車のヘッドライトが眩しい。

夜になっても暑さは衰えない。

歩いているだけで汗が吹き出る。

 龍介は汗を拭いながら幸太郎を見た。

幸太郎は何故か西の空を見上げている。

そして時々首を傾げている。

「どうしたんだ? コウタロウ」

「ん? いや、ちょっと・・・」

 しばらく沈黙した後、幸太郎は西の空を見上げながら言った。

「何か変だ・・・」

「変だ・・・って、何が変なんだ?」

 幸太郎は空を見上げ続けている。

「金星だ」

「金星? 金星ってあの一番星か? あの金星のどこが変なんだ?」

 龍介も空を見上げると、西の空、円山の上空にキラキラと大きく瞬いている星がある。

その星を見つめながら幸太郎は呟くように言った。

「いつもならあのマンションの左側にあるんだ。

それが今日はどういうわけか右側にある。

それにあんなに大きく見えることはない」

「気のせいじゃねえか?」

 龍介が言うと幸太郎はきっぱりと言った。

「いいや、ここは道場からの帰り道だ。間違うわけがない」

 二人のやりとりを聞いていた彰が後ろから声を掛けてきた。

「なーに言っているんだ? おまえら。

今からおかしなこと言ってどうすんだよ。

見ろよ。ヒロコが怖がっているんじゃねえか」

 見ると広子の右手はしっかりと幸太郎のシャツを掴み、潤んだ目をして幸太郎を見上げていた。

 

 少年達は環状線を南十九条で右に折れると、急な上り坂になっているY字路を左に上って行った。

ロープウエーの山麓駅に着くと、66人乗りの大型ゴンドラが赤色灯を回転させながら登って行くのが見える。

更に登ると正門があり、寺の境内に出た。

薄暗く、木立の間にある水銀灯の青白い光だけが風に揺れている。

「あれ?」

 先頭を歩いていた龍介が立ち止まった。

見ると広い境内には誰もいない。

お盆が近い今頃はこの時間でも人はいるはずだ。

全員が立ち止まり、周りを見渡している。

「どうして誰もいないんだ?」

 幸太郎が呟いた。

「もう皆帰っちゃったんじゃないか? ちょうどいいだろう。いい肝試しだ」

 彰が前に出ると山肌に沿って広がる墓地を見上げながら言った。

墓地の一番上には三重の塔がライトアップされて浮かび上がっている。

何故か近寄りがたい雰囲気がそこにあった。

「ねえ、どうしたの? 行かないの?」

 皆立ち止まっていると梨絵が急かすように言った。

まるで怖さというものを全く感じないようだ。

「ヒロコ、大丈夫?」

 菜美が広子の顔を覗き込むように訊いた。

「うん」

頷く言葉とは裏腹に広子の右手は未だにしっかりと幸太郎のシャツを掴んでいる。

「よーし、じゃあ行くぞ」

 そう言うと龍介は墓地の中に入って行った。

全員が一列になって登って行く。

時折吹く風が生温く、なぜか体にまとわりつく。

噴出した汗は乾くことなく体の表面を流れ落ちる。

動くものも聞こえて来るものもない。

ただ、水銀灯の下を通った時は、「ジーッ」という音と共に青白い光に虫が群がっていた。

「エイッ。来るなら来い」

 彰が冗談交じりに中段を突いていると、「ドサッ」という音が横の暗い林の中から聞こえてきた。

一瞬全員が凍ったように立ち止まった。

冷たい汗が背中を流れる。

「なんだ? 今のは・・・」

 彰が目を凝らすが見えるものなど何もない。

龍介も覗き込み、聞き耳を立てるが音の原因は分からない。

「何か落ちたみたいだけど・・・早いとこ行った方がいいな。行くぞ!」

 そう言うと龍介は走り出した。

残った全員も後を追うように走り出す。

三重の塔に着くと全員の息が切れていた。

「ゼーゼー、ハーハー」と言って四つん這いになったり、仰向けに寝転がったりしている。

「さっきのは何だったんだ?」

 彰が横にいる龍介に訊いた。

「わからん。たぶんエゾリスじゃないかと思うんだ・・・走り去る音が微かに聞こえた・・・」

 龍介がそう言いながら下に広がる墓地に目をやった。

するとその先には綺麗な札幌の夜景が浮かんでいた。

藻岩山の麓に迫るような勢いで高層ビルやマンションがそびえ立ち、まるで不夜城のように輝いている。

そして、そのビルの谷間を埋めつくすように、車のヘッドライトが流れていた。

「お兄ちゃん、うちのマンションが見えるよ」

 広子が幸太郎のシャツを引っ張りながら言う。

「ほんとだ。うちのマンションも見える」

 梨絵も同じように言うと、彰が言った。

「リュウスケ、おまえんち見えるか?」

「うちはマンションの陰に隠れて見えねえよ」

「リュウスケんち一軒家だもんな。こっからじゃ見えねえか」

 龍介が「しょうがねえや」という顔をしていると梨絵が訊いてきた。

「ねえ、ここから先はどうやって行くの?」

「裏側に平和塔への山道がある」

 振り返り、三重の塔の裏側を見ながら彰が答えた。

全員の目は彰が振り返った方向を見た。

そこには鬱蒼と茂る森の中にぽっかりと口を開けるように山道の入り口があった。

それはまるで幽界への入り口のように少年達を誘っていた。

 

 最初に立ち上がったのは梨絵だった。

「ねえ、早く行こうよ」

 一人で歩き出すと、吸い込まれるように山道に消えていく。

「お兄ちゃん、ヒロコ達も早く行こう」

 広子も幸太郎のシャツを引っ張り、二人は山道に消えた。

まるで誰かに呼ばれているようだ。

龍介と彰は目を合わすと慌てて追いかけた。

残った菜美も直ぐに続いた。

 山道に入ると、そこは樹海の中にできた一本のトンネルのようだった。

外からの光は鬱蒼とした森で遮られ何も見えない。

龍介と彰は携帯を取り出し、カメラ用のライトを点けた。

先の方を照らすと梨絵と幸太郎達がいた。

三人とも立ち止まり周りを見渡している。

まるで何かを探しているようだ。

「お前ら勝手に行くな。離ればなれになったらどうするんだ!?

 龍介が言うと梨絵が答えた。

「だって誰かが呼んだ気がしたんだもん。『早くおいでよ』って」

「うん、ヒロコも聞こえた。『早くおいで』って」

 広子も同じように言う。

「コウタロウも聞こえたのか?」

 彰が訊くと幸太郎は首を横に振った。

ただ、何かが気になるのかしきりと周りを見渡している。

その時だった。

彼らの頭上を「サーッ」という音と共に何かが飛び去った。

「キアーッ!!

 梨絵の悲鳴と共に全員が伏せる。

同時に龍介がライトを向けた。

「ハハハッ。モモンガだ」

「モモンガ?」

 誰かが訊いた。

「ああ、エゾモモンガだ。ほら、見てみろ」

 ライトに照らされた先には小枝に止まり、愛くるしい顔をしたエゾモモンガがいた。

ライトに反射した赤い目がこちらを見ている。

「びっくりさせやがって」

 彰が膝の汚れを払いながら立ち上がると落ち着いて言った。

「ヨーシ、皆、固まって行こう。バラバラだと何が起こるか分かんねー」

 少年達はひとかたまりになって歩き出した。

遠くの森からは「ボーボー」というエゾフクロウの鳴声が聞こえる。

龍介は時々ライトで上を照らした。

しかし樹木の枝で覆われ、何も見えない。

しばらく歩くと山道はゆっくりと右に曲がっている。

いくらか傾斜が緩くなってきた。

「ギャーッ!!

 突然、後ろのほうから広子の悲鳴が聞こえてきた。

菜美が駆け寄ると広子がわなわなと自分の首を指している。

「どうしたの?」

「く、首、首・・・誰かが締めている・・・」

 虚ろな目をした広子はそこまで言うのがやっとだった。

菜美が広子の首を触ると何かが巻きついている。

「あーらら。ヒロコ、これ葡萄のツルよ」

 菜美は葡萄の蔓を解くと広子に見せた。

「ほら、山葡萄のツルでしょ?」

「あ、ほんとだ」

 広子はほっと胸を撫でおろした。

菜美は広子の頭を撫でると、急に形相が変わって幸太郎を睨みつけた。

「コウタロウ!!

 怒鳴りつけるとまくしたてるように怒りだした。

「あんたさっきからどこ見てんのよっ!! 上ばっかり見て! もう少しヒロコの面倒も見なさい!! あんたの妹でしょ!!

 幸太郎はシュンとなり俯いた。

そんな幸太郎に広子はシャツを引っ張り言った。

「お兄ちゃん、大丈夫だよ。ヒロコ強いから」

 兄思いの広子だった。

そんな広子を幸太郎は抱き寄せた。

そして再び上を眺めた。

やはり幸太郎には気になる事があるようだ。

 

 少年達は再び歩き出した。

先頭を行く龍介は警戒するようにライトを照らしている。

突然、森が途切れた。

ライトを消し歩み出ると、その先には月明かりに浮かび上がる白亜の塔があった。

平和塔だ。

「やったー! やっと着いた!」

 誰ともなく走り出した。

平和塔の周りは深い森で囲まれ、そこからは札幌の様子はまったく見えない。

見えるのは上空に輝く星だけだ。

 少年達は平和塔の正面に回り、釈迦像を眺めていた。

だが、一人だけ上空で瞬いている星を見ている者がいる。

それも西の空を・・・

幸太郎だった。

「リュウスケ! 見ろ!! 動いている!!

 突然、叫びながら幸太郎は西の空を指した。

そこには明るく瞬きながらゆっくりと北に向かって動いている星がある。

金星だ。

ありえない・・・ 西の空に沈むはずの金星が・・・

「どういうことだ・・・?」

 龍介が呟いたのと同時だった。

スーッと金星が速度を上げた。

飛ぶように北に向かって移動している。

気がつくと、周りの森から白い霧が湧き出し、アッと言う間に平和塔周辺を覆い尽くしてしまった。

すべてが白い。全く何も見えない。何処に誰がいるのかさえも分からない。

「おーいっ!!

 声を大にして叫んでみた。が、声にはならない。

口が動くだけで音というものを全く感じ取ることができない。耳を叩いてみた。

何も感じない。

龍介は呆然と立ち尽くした。

すると徐々に平衡感覚がなくなり、上下左右すらも分からなくなった。

まるで宙に浮いているようだ。

何故か・・・ 気持ち良い・・・

そう思った時、今までにない強烈な耳鳴りが襲ってきた。

両耳を押さえ、呻くようにしゃがみこむと、龍介の記憶はそこで切れていた。

 


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