小学校
娘が小学校に入った時には、世の中はバブル景気の真っ只中だった。
当然、私が勤務する会社の業績も右肩上がりだ。必然的に私の仕事も忙しさを増してくる。
それに入社10年目ということもあり、中堅としての仕事も面白い。
早朝、出勤すると、帰るのはいつも深夜。
子供達の顔を見るのは、寝顔ばかり。
たまの休みも休日出勤していた。
自分がこうだと思うことは、多少反対する人間がいても、無理やりでも押し通した。
他人の陰口など、まったく気にしない。
自分のやることは正道で、言うことは正論だった。
今考えると、ぞっとするようなことや、多少のことならコンプライアンスに抵触するようなことでも平気でやり通した。
それぐらい、この頃はがむしゃらだった。
とにかく、「稼がなきゃ」その一心だった。
だが、その裏で妻はかなり苦労していたようだ。
私が家に居ない分、子供達や家のことは妻一人で切り盛りしていた。
家のローンが重くのしかかり、大変な家計の遣り繰り。
それでも妻は、日曜日には娘と息子を連れて、近くの円山八十八ヶ所に三人で遠足に行っていた。
そんなことにも、私は見て見ぬふりをして仕事に行っていた。
それも、ごく当たり前のようにだ。
そんな私達家族を見かねた会社の同僚が、休みの日に妻と子供達を一緒に遊園地に、遊びに連れて行ってくれたりもした。
だが、そんな同僚の親切にも、私は意に介したことはなかった。
それぐらいこの頃の私は、家庭を顧みることなく、いや、面倒くさい家のことなどすべて妻に押し付けていた。
そう言えば、この頃、妻が言った一言が今でも忘れられない。
それは、娘の父親参観の日だったが、私は当然の如く仕事に行っていた。
休みを取ろうと思えば取れたのだが、この頃の私にとっては仕事の方が最優先だった。
そして、夜遅く家に帰ってくると、妻が悲しそうな顔をして言った。
「うちは父親不在だから・・・」
そう言って娘が描いてきた絵をじっと見ていた。
それは家族の絵だという。
私は着替えながらその絵をチラッと見た時、ネクタイをゆるめていた手が止まった。
正直、愕然とした。
その絵には、私の姿はなかった。
私以外の妻と娘と息子の三人だけが、家族として描かれていたのだった。
娘が小学校の三年生になる頃には、バブルは弾け飛んでいた。
そうなると、私の仕事も今までのようにはいかなくなる。
予算数字はおろか、前年の数字を維持するのもままならない。
当然、仕事の量も減ってきたし、それに伴い収入も減りだした。
だが、逆に休みもきちっと取れるようになってきたし、残業も組合との協定時間内に収まるようになり、自分の時間をゆったりとすごせるようになってきた。
そうなると、なぜか、今までの自分の愚かさのようなものに気づき始めてきた。
この頃、巷ではファミリーキャンプが流行りだしていた。
バブルが弾け、身近な遊びが定着してきたからだろうか。
社内でも、ゴルフよりもキャンプの話題が主流になりつつあった。
そんな四月のある日のことだった。
その日は、私は休みで朝からのんびりとコーヒーを飲み、新聞に目を通していた。
その時、一枚の折込チラシに目が止まった。
それは釣具店のチラシで、日替りの広告商品に四人用のテントがあったのだ。
それも、数量限定は付いていたが、3980円と超が付くほどの破格値だった。
私は迷わず決めた。
チラシを持ちながら、
「このテント買いに行くぞ!」
そう台所にいる妻に言ったが、妻は私が言っている意味がまるで分からないでいる。
「ふ〜ん・・・」と生返事をしながら洗い物をしている。
今までの私の口からは、到底出るような言葉ではないから、それは致し方ない。
そんな妻を横目で見ながら、私は一人で家を出ようとすると、慌てて妻が走ってきた。
「ねえ、テントなんか買ってどうするの?」
「なに言っているんだ? 皆でキャンプに行くんだ!」
私がそう言うと、妻はやっと分かったようで、急に顔がほころんだ。
「ちょっと待って! 私も行く!」
慌てて着替えると、すぐ車に飛び乗った。
釣具店までは、車で10分ほどの距離にある。
着くと、すでに駐車場は一杯になっていた。
仕方がないので路上に駐車し、店内に入った。
売場は広告商品を買い求める客でごった返している。
お目当てのテントはなかなか見つからない。
「もう売り切れてしまったのかな〜」
そう思いながら通りがかった店員に訊いてみた。
すると店員は、「あれ〜?」と小首を傾げ、一緒に探してくれた。
山積みになっているテントや寝袋をひっくり返し始める。だが、なかなか見つからない。
半ばあきらめかけた時だった。
あった。そのテントは山積みになっている商品の一番下に、最後の一つが隠れるように残っていたのだ。
それは、まるで我家のために隠されているかのようだった。
私は嬉しかった。
思わずテントを抱きしめ、店員に礼を言うと、早速レジに向かった。
途中、ワゴンに特売の釣竿が積んである。
値段を見ると、どれも千円前後だった。
ついでにこれも買い求めた。
妻はキャンプ用の鍋やフライパン、そしてツーバーナーのコーナーを見ていた。だが、どれも高価ですぐに買える物ではない。
鍋やフライパンは家の台所で使っている物をそのまま持っていけばいい。
それにツーバーナーはなくても、薪や炭を熾せば火は使える。
とにかくテントさえあれば後はなんとかなる。
その時、私は、そう思っていた。
翌日、私は出勤すると、すぐに五月の予定表に休みを入れた。
それもゴールデンウイークに二日間の連休を。
仕事柄、ゴールデンウイークというのは結構忙しい。
そこに二日間の休みを入れるというのは、普通ならかなり気が引ける。
当然、周りの目が冷ややかだ。
だが、この頃の私は、そんなものはまるで気にならなかった。
そんな人の目よりも、とにかく家族でキャンプに行きたい。
その一心だった。
そして、ゴールデンウイークまでの数日間が、本当に待ち遠しかった。
キャンプに行く前日、私は残業もせずに定時で仕事を終えると、真っ直ぐに家に帰った。
夕飯もそこそこにキャンプ用品のチェックリストを作り、一人でチマチマと準備をしている。
これが実に楽しい。
まるで子供が楽しみにしている遠足の準備をしているようなものだ。
いや、この時は本当に子供の頃に戻ったようにウキウキとしていた。
そして早めにベッドにもぐっても、なかなか寝つかれるものではない。
それでもなんとか寝たが、当然キャンプ当日はいつもより早く目が覚めてしまった。
私は一人、妻と子供達を起こさないように静にベッドを抜け出した。
そして車に荷物を積みだす。
この時になって、初めて以外と荷物の多いのに気づいた。
トランクルームには収まりきれず、当然の如く車内まで満載になっている。
後部座席は足の踏み場もないほどだ。
それでもなんとか子供達の乗るスペースは作った。
やっと一息つき、ドアを閉めると後ろから声がした。
「ねえ、もう荷物積んだの?」
振り返ると、妻と子供達がまだ眠そうな目をして立っている。
軽く頷くと、早速娘が窓から車内を覗き込んだ。
すると、それまで眠そうだった目がみるみる丸くなり、唖然とした顔をして見ている。
「パパ、ひょとしてここに乗るの?」
娘がそう言うのも無理はない。
後部座席は四方を荷物に囲まれ、やっと子供二人分のスペースがあるだけだ。
それも靴を脱がないと乗れない状態だった。
「大丈夫だよ。靴を脱いで乗ると楽だし、御座席列車みたいで楽しいだろ?」
「なーに、それ?」
思わず口から出た言葉だったが、娘にとっては意味不明で不満気だった。
それでも軽く朝食を済ませると、家族四人、全員が乗り込んだ。
目指すキャンプ地は支笏湖の美笛野営場。
ここは学生の頃、日帰りで何回か立ち寄ったことがあり、ぜひとも大自然の中で一度はキャンプをしてみたい場所だった。
車を走らせると、爽やかな青空が広がっている。
絶好のキャンプ日和だ。
思わず会話も弾む。
こうして初めてのファミリーキャンプは出発したのだった。
支笏湖の美笛野営場へは、国道を通り湖岸を一周するルートと、オコタンペ湖を抜け、恵庭岳の横を通り湖岸の林道を走る近道とがある。
私はこの日、林道を抜ける近道を通った。
それは少しでも、いつもと違う自然の雰囲気を味わいたかったからだった。
国道を右折し、オコタンペ湖を上から見下ろすと、吸い込まれそうなくらい青々とした湖面が広がっている。
近寄り難く、うっすらとした霧が広がり、本当に神秘的だ。
その湖を見ながら恵庭岳の横を通ると、もう五月だというのに標高が高いせいか、まだ雪が残っている。
「ワーッ、まだ雪があるよ!」
そう皆で騒いでいる時だった。
それまで広がっていた青空が急に曇りだした。いや、曇り出したと言うよりも、雲の中に入ってしまったようだ。
ポツポツとしたものが車のフロントガラスに落ちてくる。
それはみぞれとなり、ついには雪となって吹雪きだした。
だが、それも今の我家、特に妻や私にとっては楽しい一時だった。
皆、はしゃぐように窓の外を見ながら騒いでいる。
そう、子供の頃、学校帰りに突然土砂降りの雨が振り出したり、道路に空缶が転がっているだけで、「キャーキャー」と遊んでいた頃とまったく同じだ。
本当に童心に戻っていた。
そんな吹雪模様の天気も、湖岸の林道に差し掛かるころには雲を抜け、また青空が広がり出した。
林道に入ると、所々絶壁の崖となっている。
ガードレールもなく、真下に支笏湖が見える。
運転を誤ると支笏湖までまっさかさまだ。
ここは慎重に運転する。
しばらく走っていると、林道の両脇の木々の枝葉が大きく覆いかぶさり、頭上を塞いでいた。
まるで木のトンネルを抜けているようだ。
時折、枝葉の隙間からこぼれ落ちる日差しが、サラサラとやわらく揺らいでいる。
そこにいるだけで癒される空間が続いていた。
そして、美笛野営場が近づいて来ると、巨木の森が現れた。
ハルニレやオヒョウニレ。太古の時代から続く巨木の森だ。
ここに居ると、本当に自分が小さく感じる。
そんな森の中をゆったりと走っていると、美笛野営場の小さな看板が見えてきた。
矢印に従って左折する。
さらに巨木の森を走り続けると、大きなログハウスが見えてきた。
野営場の管理棟だ。
やっと着いた。
入口でチェックインを済ませると、湖畔に車を進めた。
すでにかなりのキャンパー達がテントやタープを張っている。
私は湖畔に面した木立の間に空きスペースがあるのを見つけた。
うちのような小さなテントを張るには、ちょうど良い場所だ。
それに目の前には広大な湖が広がっている。
「よし、ここにしよう」
そう決めると、車を止め、早速荷物を降ろし出した。
妻と子供達は波打ち際まで走っていき、大きな流木の上から周りの景色を見渡している。
湖面には数艇のカヌーが、まるで時間の流れが止まっているかのように、ゆったりと浮かんでいる。
美笛川の河口には大物狙いだろうか、ルアーやフライを振っている釣り人がいる。
振り返ると、今、通ってきた恵庭岳は、まだ雲の中だ。
しかし、支笏湖を挟んで反対側にある樽前山は、細く白い噴煙をすっきりとした青空にたなびかせている。
いつまで眺めていても飽きない、いや、ここに居るだけでホッとするロケーションだった。
私はテントを張ると大きな石をかき集め、あらかじめ炉を作っておいた。
これで準備万端。夕方までは、まだかなり時間がある。
私は釣竿を出し、釣りに行く準備を始めた。
魚釣りなんて子供の時以来だ。勝手がよく分からない。
それでもなんとか竿に釣り糸を結び、針や仕掛けも付けた。
長靴を履き、釣りに行こうとすると、当然子供達も行くと言う。
だが、妻はここでのんびりと本を読んでいたいと言う。
それも良く分かる。
ここは居るだけで癒される。
本当にそう言う場所だからだ。
私は子供達を連れて美笛川に向かった。
美笛川は野営場のすぐ横を流れている。
手頃な淀みを見つけて釣り糸を垂れた。
だが、そう簡単に釣れる訳がない。
代わる代わる子供達に竿を持たせたが、結果は同じだ。
竿先はピクリとも動かない。
子供達は早々に飽きてしまい、川遊びに興じている。
だが、私は竿を持ち続けた。
別に魚がどうしても釣りたいという訳ではない。
このサラサラと流れる川の音。
キラキラと輝く川面の揺らめき。
時折そよぐ風と木の葉の擦れる音。
そしてなによりも、このゆったりとした時間の流れ。
これが今、一番欲しかったものだったからだ。
気がつくと西の空が紅く染まり出した。
私は子供達を連れてテントまで戻った。
すでに妻は米を研ぎ、夕飯の準備をしている。
私は早速石で作った炉に薪を入れ火を熾した。
はじめチョロチョロなかパッパ。
なんとか米はふっくらと炊き上がった。
次に炭を入れ網を渡してバーベキューの準備だ。
肉と野菜をその上に載せると、子供達は二人ともすでに箸を持ち今か今かと待っている。
そして肉が焼けると食べ始めた。
「いっただっきまーす!!」
次から次と肉と野菜を頬張っている。
こんな嬉しそうな顔を見るのは本当に久しぶりだ。
私も妻も思わず食べ過ぎてしまった。
そしてのんびりと夜の支笏湖を見ながら過ごしていた。
満月の明りがキラキラと湖面を映し出している。
なんともいえない時間を過ごしていると、急に月が陰り出した。
見上げると黒い入道雲がモクモクと湧きあがっている。
そこからはあっという間だった。
ポツポツと来だしたな、と思っていたら、土砂降りの大雨が振り出した。
私は慌てて妻と子供達をテントに非難させたが、如何せん安物のテントだと、これだけ振り続けられると役に立たない。
私は非常用に持ってきたロープと工事用のブルーシートを取り出すと、木と木の間にロープを張り、その上にブルーシートを被せて自作のタープを作った。
これで雨はもう大丈夫。
自分なりにも自信作だった。
妻と子供達も自作のタープの下で周りを見ている。
この時、娘はしきりに私が作ったタープを見上げ、そして隣のサイトを見ていた。
どうやら見比べているようだ。
私も隣を見ると、そこにはブランド物のテントに、これまた同じブランドのウイングタープ。そしてツーバーナーはもちろん、雨風にも強いガソリンを燃料とするランタンが、明るく周りを照らしている。
テントの中やウイングタープからは、何事もなかったかのように楽しそうに談笑している声が聞こえてくる。
これを見て言い放った娘の一言が、今も私の記憶に強く残っている。
それは、
「隣は金持ち! うちは貧乏!」
本当に強烈な一言だった。