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 高校

 

 反抗期という言葉がある。

どの家庭でも子供がいれば必ずと言って良いほど出る言葉だ。

だが、我家にはあまりなかったような気がする。

しいて言えば、娘が高校に入った頃からだろうか。

今までだと、私が言うことに対して嫌なものは、「いや!」とはっきりと言っていたのが、なぜかしぶしぶと俯き加減に、「うん」と言うようになってきた。

 冬物のコートを家族で買いに行った時もそうだった。

私はダッフルコートが好きで、いつもそれを着ているが、同じデザインで女性物があった。

私はいつもの調子で、

「あ、菜美。このダッフルコートいいんじゃないか? お父やんと一緒だ!」

と言い、娘を見ると、娘は別のデザインのダッフルコートを試着している。

どうも本人はそっちの方が気に入っているようだ。

だが、つい私は言ってしまった。

「菜美、こっちの方がいいよ。これにしたらどうだ?」

 その時の娘の顔は今でも憶えている。

俯き加減に私を見つめ、返事に戸惑っている。

そして、試着していたダッフルコートを握りしめ、声もなく頷いていた。

 この時、私は別に何も考えてはいなかった。

娘がどういう気持ちで頷いていたのか、本当はどっちのコートが欲しかったのか・・・

だが、私の耳元で妻が囁くように言った。

「お父やん。菜美はこっちの方がいいのよ。無理言わないで」

「エッ?」と思ったね。

 私は別に無理強いしたつもりはまったくない。

今までだってよくあったことだ。

そんな時でも、娘はいつも友達感覚で話してきた。

だが、最近は違うようだ。

変に私のことを父親として意識しだしたのだろうか。

言いたいこともなかなか素直に言えないようだ。

正直言ってちょっと淋しくなった。

娘との距離が遠くなったようで・・・

 

 娘が高校の二年生になる頃には、友達付き合いの彼氏もできたようだ。

二人でよくデートをしている。

 私はちょっぴり焼餅を焼いていた。

どんどんと私の手から離れて行く。

 娘がデートで出かける時も、「行ってきまーす!」の声に、なかなか返事ができなかった。

そんな私を見て、妻は、「順調に育っている証拠よ!」と微笑みながら言っている。

分かっているつもりでも、なかなか自分自身に言い聞かせることができない。

今思うと、本当に大人気ない自分だった。

 そんな日々を過ごしていた高校三年の秋だった。

娘は受験に備え学校から帰ってくると、いつも自室にこもり勉強の毎日。

休みの日も遊びに行くこともなく、朝から晩まで机に向かっている。

私はすることもなく、毎夜好きなレコードを聴きながらバーボンを飲んでいた。

二階の窓から望む藻岩山は、日を追うごとに紅く染まっていく。

そして、庭のサクランボの木も落葉色に染まり、木の葉が落ち出した頃だった。

いつものようにバーボンを飲んでいると、娘が突然話し掛けてきた。

「ねえ、お父やん。映画観に行こう」

「エッ?」と思ったね。一瞬自分の耳を疑った。

「彼氏や友達と行かなくていいのか?」

 思わず訊き返したが、娘が観たい映画はどうしても私と行きたいらしい。

これは嬉しかった。

一応映画のタイトルは聞いたが、私にとってはそんなものはどうでもよかった。

娘と二人だけでデートができる。

そのことだけで胸が一杯になっていた。

 

 次の休みの日、私は朝からそわそわと落ち着きがなかった。

今日は娘とデートの日。

娘と二人だけで出かけるのは、娘が幼稚園の時以来だ。

 私は思っていた。

「せっかくのデートだ。映画だけではもったいない。

そうだ! 飲みに行こう。二人だけで!

娘が観たい映画はススキノの映画館でやっている。

ちょうどいい。

こんなチャンスは、もう来ないかもしれない」

 私は映画の開演時間を調べながら、妻に言った。

「なあ、菜美と映画を観た後、ちょっと飲んでから帰ってくる」

「エッ!? 飲みに行くの?

ちょっとあなた。菜美は未成年なんだから・・・」

 洗い物の手を止め、驚いて訊き返す妻に私は言った。

「大丈夫だよ。アルコールは飲ませない。

それに行くのは、いつもの古金亭だ」

 古金亭とは、私が学生時代から付き合っている居酒屋だ。

妻とも結婚前は、よくそこでデートし、二人で飲んでいた。

私たちの結婚式の二次会も、古金亭を使わせてもらった。

そこのマスターとは、なんだかんだ言って二十年以上の付き合いになる。

今でも私のことを「古田君」と君付けで呼び、当然我家のことも良く知っている。

 妻の顔は古金亭と聞いて、なぜか微笑み出した。

私が娘と二人でデートするのを喜んでいるようだ。

それに妻も私同様、成長した娘を古金亭のマスターに見てもらいたいようだった。

 

 夕方、開演時間に合わせて、私は娘と二人でタクシーに乗り、ススキノに向かった。

タクシーを降りると、まだ陽が高いせいか、人通りはまばらだ。

早速、屋外の券売所で二人分のチケットを購入すると、館内に入りエレベーターで二階に上がった。

そして、待ち受けていた映画館の女性スタッフにチケットを二枚渡した時だった。

なぜか、そのスタッフは、私と娘を交互に見ている。

それも何回も。

別に購入したチケットに怪しいところなど当然ない。

二枚とも大人分だ。

 私は理由が分からなかった。

なぜ、じろじろと私達親子を見ているのか。

「親子で映画を観にくるのは、よくあることだろう。

それに、これだけ似ているんだ。親子だとすぐ分かるだろう」

 私は単純にそう思っていたので、この時は別に気にもならなかった。

それにそんなことは、今の私にはどうでもいいことだった。

 私は席に着く前に、映画を観る時の定番品を買いに行った。

そう、コーラとポップコーンだ。

私は売店でコーラとポップコーンを二人分注文すると、ここでも女性の販売員が、私と横にいる娘とを交互にじろじろと見ている。

それも、今度はかなり奇異な目で。

さすがにこの時は、私も気になった。

どうして娘と一緒にいるだけなのに、じろじろと見られるのか。

だが、私にはさっぱり分からない。

 私は頭の中で悶々としながら席に着いた。

そして、コーラとポップコーンを娘に渡しながら、

「なあ、さっきの売店の人、変な目で見てたよなあ」

と言うと。

娘は一呼吸して、私を見ながら言った。

「あの人、私達のこと、エンコウの二人だと思ってたよ」

 私は娘の言っている意味がまったく分からなかった。

「エンコウ? エンコウってなんだ?」

「エンコウって援助交際の援交よ!」

 この時はショックだったね。

少なくとも私達親子は、誰が見てもそっくりだと言うし、そう思ってきた。

隣に住む、おばあちゃんなんかは、

「なにも、あそこまで似なくてもいいのにねえ。

お父さんの顔を、そのまま貼り付けたようだよ。

ハッハッハッハッ・・・」

と喜んでいいのか、悲しんでいいのか、分からないようなことを言って笑っている。

それくらい似ていると言われ続けてきた。

それがだ、まったくの赤の他人から見ると、援助交際の二人に見えるらしい。

本当にショックだった。

だが、私はススキノのど真ん中にある映画館という場所柄のせいにして、この時は自分自身を慰めていた。

 

 映画が始まると、娘は釘付けとなって観ていた。

私も一応映画は観ていたが、それよりも娘の顔をチラチラっと横目で見ていたほうが多かった。

私にとっては映画の内容はどうでもいい。正直言ってほとんど憶えていない。

それよりも娘が横にいるというだけで、一人悦に入っていた。

二時間弱の映画だったが、それはあっというまに終わってしまった。

 映画館を出ると、外はすでに夜の帳が降りていた。

煌びやかなネオンが輝き、路上は人で溢れ返っている。

信号が変わるたびに、人が津波のように押し寄せてくる。

焼肉屋や焼鳥屋の前を通ると、よだれの出そうな匂いが漂い、ビルの前や交差点では、客引きがカラオケやキャバクラの割引券を配っている。

そこには、いつものススキノの夜があった。

 私は古金亭を目指した。

それは、ここから三丁ほど西にある。ススキノのはずれだ。

混み合う路上を縫うように歩いていく。

私のすぐ横を娘が寄り添うように歩いている。

「まるで恋人同士のようだな」

ふと、私はそう思ってしまった。

 近づくにつれ、人通りもまばらになってきた。

古くからある建物が多く、空き店舗が目立つ。

そんな中に、昭和三十年代に建てられた木造二階建ての月会館があった。

古金亭は、その会館の地下一階にある。

 私は娘を連れ、狭く急な階段を降りていった。

よそ見をすると、足を踏み外しそうだ。

娘の手を引き、ゆっくりと降りていく。

なぜかすえた臭いが鼻に付く。

やっと降りると、裸電球の灯る薄暗い通路が続いている。

両側に並ぶ何軒かのスナックは店を閉めたままだ。

その通路を歩いていくと、一番奥の正面にその古金亭はあった。

 私は慣れた手つきで暖簾を掻き分け、引戸を開けた。

まだ客は誰もいないようだ。

仕込みをしていたマスターはカウンター越しに私を見ると、いつもの笑顔で声を掛けてきた。

「ヨッ! まいど!

あれ? 今日は古田君一人か?」

 どうやら私の後ろにいる娘は見えなかったらしい。

私は右手で指を二本立て、ニヤッと笑うと、

「ふ・た・り」と、なぜか口ずさむように言った。

 マスターは私の後ろを見ようと、首を伸ばしている。

すると、私の後ろから、ちょこんと顔を出した娘がお辞儀をしながら出てきた。

この時のマスターの顔は、完璧に固まっていた。

目を見開いたまま言葉が出ないでいる。

そんなマスターを横目に、私はいつもの調子でカウンターの一番奥に座り、その横に娘が腰掛けた。

マスターはまだ言葉が出ない。

出ないどころか、仕込みをするふりをしながら娘をチラチラと横目で見ている。

マスターだけではない。

厨房の奥からも、ママが冷蔵庫を開けながら娘を見ている。

二人とも娘を見る目つきが、どうもおかしい。

一言も発しないばかりか、注文すら取りにこない。

 私は映画館での出来事を思い出した。

「ここでもひょっとして間違われているのか?」

 私は思わず大声を上げた。

マスター!俺の娘だ!!

 その時のマスターの顔は今でも憶えている。

本当に拍子抜けした顔だった。

「ど、どうりで・・・ 似ているとは思ったんだけど・・・

ひょっとして会社の若い子を連れてきたのかな・・・ と・・・」

 マスターは頭を掻きながら、苦しい言い訳をしていた。

 この時、私はつくづく思った。

私がよっぽどエロ親父に見えるのか・・・

それとも娘が年以上に艶っぽく見えるのか・・・

未だにそれは良く分からない。

だが、この日、古金亭で娘と二人で飲んだ酒は本当に美味かった。

娘もウーロン茶を飲みながら、大人の味を堪能していたようだ。

出てくる料理を一つ一つ興味深く見つめ、マスターに料理法を訊きながら食べていた。

 そんな娘を見ながら私は思った。

「気がつくと、もうこんなに大きくなっている。

あっと言う間にお嫁に行っちゃうんだろうな〜」・・・と。

 そして、私は、この時以上の酒の味を未だに知らないでいる。

 

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