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境内にて

 

 次の日の朝、莞爾、哲、幸二の三人は早速寺に向かった。

今度は百段階段ではなく、正門のあるロープウエー横の坂を登っていた。

山麓駅から上は珍しく朝霧が立ち込め、10メートル先も見えない。

正門を抜け、境内に入った。

誰も居ないようだ。

境内の端にある白樺林が煙って見える。

「早過ぎたかな〜」

 莞爾は周りを見渡した。

「そんな事は無いだろう。昨日よりも遅いぐらいだ」

 哲と幸二も周りを見ている。

その時、スーッと風が吹くと霧が流れた。

ゆっくりと寺の輪郭が浮かんでくる。

すると・・・ いた。寺の前に真っ白い道衣を着て六人全員が横一列に並んでいる。

「押忍!」

 最初に声を掛けたのは龍介だった。

皆笑顔で迎えている。

やって来た三人は同い年だが不思議な事に皆の父親だ。

間近で見る同年代の父親達の姿に彰も幸太郎も、そして梨絵も広子もどう声を掛けたらいいのか分からない。

考えずに喋ると、思わず「父ちゃん」って言いそうだ。

三人が近寄ってくる。

莞爾は改めて自分を含め哲と幸二を紹介した。

龍介も皆を紹介する。

三人は頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

 声に張がある。

三人にとっては願ってもないことだったようだ。

表情も昨日迄とは違い明るい。

「よし、それじゃあ早速始めるか!」

 龍介は気合を入れ皆に声を掛けた。

皆が境内の中央まで行こうとすると莞爾が道衣を指し、何か言いたげな目をしている。

「どうした?」

「俺達、そんな空手をする時の服を持っていない」

「服って道衣のことか?」

「ああ、道衣っていうのか?」

「別に動き易ければ道衣でなくても、ジャージでも何でもいい」

「ジャージって何だ・・・?」

 莞爾は首を傾げている。

まずいと思った。何気なく喋った言葉でも意味が通じない時がある。

「ジャージって運動をする時に着る服さ」

 上手く説明したつもりだ。

「じゃあこんな格好でもいいのか?

俺達は部活の時、いつもこの格好だ」

莞爾は両手を広げ、着ている物を見せるようにして言った。

白いランニングシャツに白い短パン。そして白い運動靴に何故か黒い靴下を履いている。

靴下を見た時、一瞬吹き出しそうになったが、何とか堪えた。

「ああ! 十分だ。すげーハイカラだよ」

 笑いを堪えている顔が、莞爾にも分かるようだ。

「ハイカラ? これがか?」

 そう言うと二人は思いっきり笑いだした。

いつしか山を覆っていた霧はなくなり、心地良い風が吹いている。

見ていた皆も笑いが止まらなかった。

 

「ヨシ!、それじゃあ始めるぞ」

 龍介の言葉に凛とした空気が漂う。

「まずは基本の立ち方から」

 龍介が前に出る。

「普通に楽な姿勢で立つ。

そう、そうして軽く足を開く。

これが八字立ち。

そして、そのまま相手の上段を突く!」

 言うや否や、龍介の拳が仮想の相手を突いている。

「上段の目標は相手の鼻だ。

鼻を砕くつもりで突け。いいな!」

「押忍!」

「それじゃあ上段突き、はじめ!」

「エイッ! エイッ! エイッ!」

「ヨーシ。次、中段。軽く腰を落とす。突く目標は相手のみぞおち! はじめ!」

 中段が終わると次は下段突き。

龍介は両足を広げるよう指示した。

「そう、思いっきり両足を広げるんだ。相撲で四股を踏むように。がっしりと腰を落とす。そして相手の帯を目標に突く!」

「押忍!」

 この時、自然と莞爾の口から声が出た。

「下段突き、はじめ!」

 莞爾がリードしている。

さすが部活をやっているだけあって筋が良い。

龍介は彰を見ると、お互いニヤッと笑った。

 突きの練習が終わると次は蹴りの練習だ。

足を前後に開き前屈立ちで構える。

足を蹴り出す時は蹴り足に体重を乗せていく。

前足底が目標に直線で結ぶように蹴り、脚を戻して元の姿勢に戻る。

これを反復することでふらついていた軸足も安定する。

受の練習が終わる頃にはそれなりに様になってきた。

「これなら結構いけるかも・・・」

 そう思っていると、寺の奥から声がした。

「誰か来ているの? 友達? だったら一緒に御飯にしよ〜」

 奥さんだった。

「ヨーシ、今日はこの辺で止めにしよう」

 龍介が言うとお互いに礼をした。

「押忍! ありがとうございました!」

荒い息を整えながら、全員が莞爾達三人の周りに集まって来る。

「さすが俺達の父ちゃ・・・」

 幸太郎が途中まで言って、慌てて口を押さえた。

皆の視線が集まる。

「いま何て言った? 父ちゃんって言ったか?」

 幸二が怪訝な顔をして訊き返してきた。

「いや・・・ そうじゃなくて、さすがに部活やっているだけあって飲み込みが早いなと。そう思っただけ」

危ない危ない。

幸太郎はなんとかその場を繕った。

慣れるまで時間がかかりそうだ。

 奥さんに呼ばれて全員が離れに向かった。

手分けして朝食の準備を始める。

莞爾、哲、幸二の三人が加わると、まるで合宿所のようだ。

朝食が出来上がると早速食べ始めた。

「朝練のあとの飯は本当にうめーな」

 莞爾達三人は「ガツガツ」と飯をかき込む。

とにかく早い。

おかずよりも飯の量の方が大事なようだ。

次々と御代わりをする。

「フーッ、食った」

 一声発すると満足そうに箸を置いた。

龍介達が一膳目を御代わりする間に三膳飯を食べていた。

「飯食い終わったらどうするんだ?」

 莞爾が龍介に訊いた。

龍介はたくあんをボリボリと、時々詰まらせながら話し始めた。

「掃除・・・」

「掃除?」

「ああ・・・ 境内・・・ と墓の・・・」

 やっと飲み込んだ。

「お盆が近いから、きれいに掃除をしておかないと。

次から次とお参りの人が来る。

和尚さんも忙しいから、その手伝いだ。

それに和尚さんと、おばさんには、本当に世話になっているから・・・」

「そうか、それじゃあ俺達も一緒に掃除するよ」

「部活は? 部活には行かなくても良いのか?」

「部活か・・・? 部活は暫くお休みだ。空手に専念したいからな」

 龍介達はニッと頷いた。

下手に部活に行ってマサカズ達に絡まれるよりも此処にいた方が良い。

誰もがそう思っていた。

 

 夕方、お参りの人達が少なくなってくると、まだ陽が高いうちに莞爾達は帰って行った。

見送っていると梨絵が思い出したように話し出した。

「ねえ、そう言えばここのおばさん沖縄の出身だって」

「沖縄?」

 龍介が素っ頓狂な声を出して訊き返した。

沖縄といえば空手や拳法のルーツだということは武術をやっている者なら誰でも知っている事だった。

「どうしてそんな事が分かったんだ?」

「昨日、お兄ちゃん達が家に向かった後、ヒロコと一緒におばさんの手伝いしながら色んなことを話したんだ。そしたらひょんなことから、おばさんは沖縄出身だって言うの。沖縄ってこの時代はまだ日本に返還される前だよね。おばさんの話じゃ島の中はアメリカそのものだって言っていた。どこへ行っても英語は通じるし、車は左ハンドルで右側通行。買い物するにも当然ドルが使える。

島の中はアメリカ人で溢れ返っているって」

 龍介は菜美と顔を見合わせた。

「俺達、アメリカから来ただなんてウソ言っちゃったけど、バレバレじゃあないか」

 菜美もそこまでは考えていなかったという顔をしている。

「それで俺達のことを、何か訊いてきたか?」

「いいや、おばさんはなーんにも訊かない。ただニコニコしてお話しているだけ」

 龍介は気になっていることを訊いてみた。

「リエ、和尚さんのことは何か言っていたか? 何かやっているとか、どこ出身だとか」

「いいや、なあーんにも」

 しかし、龍介の頭の中には武術に長けた住職の姿があった。

彰を見ると同じ思いのようだ。

「もう一度試すか?」

 彰が訊いてきたが首を横に振った。

「いいや、止めておこう。和尚さん達だって俺達のことをうさんくさいと思っていても何にも聞いてこない。だから俺達も何も訊かないでおこう」

 龍介は寺の方に目をやると、本堂の中から住職の経を読む声が聞こえてきた。

何故か・・・

自分達の為の読経に聞こえた。

 

 翌日も莞爾達は日の出と共にやって来た。

今日は突き、蹴り、受けの練習の後、形の練習を始める。

「空手において、形とは複数の相手を想定し、その相手に対して攻防する技術。

つまり受け、突き、蹴りを一つの流れとして現したものだ。

この形を繰り返し練習することで空手は上達する」

 龍介が一通り形の説明をすると、広子を呼んだ。

「ヒロコ、前に出て。平安初段。やってくれ」

「押忍!」と言うと広子はゆっくりと前に出た。

 こんな小さな女の子にまともな形ができるのか?

そんな懐疑的な目で莞爾達は見ている。

「平安初段!」

可愛らしい中にも張のある声で広子は演武を始めた。

確実な受け、気合いと共に鋭く前に出る突きと蹴り。

莞爾達の見る目は変わってきた。

演武が終わると、また龍介が形の説明を始める。

「今、ヒロコが演武した平安初段は基本中の基本だ。だが、基本の形だからと言ってバカにしてはいけない。基本だからこそ受け、突き、蹴りのすべての要素がこの中には入っているんだ。まずはこの平安初段を完璧にマスターする。

そして繰り返し練習するんだ。形の練習は家でもできる。いいな!」

「押忍!」

 莞爾達三人の眼差しは真剣だ。

龍介は広子に言った。

「ヒロコ、今度はゆっくりと分かり易いように動いてくれ」

「押忍!」

 広子はコマ送りのようにゆっくりと動く。

その後を莞爾達は真似るようについていく。

何回も何回も、繰り返した。

流れを憶えると今度は徐々に早さを増す。

この日だけで一通りの動きを憶えた。

 

 それから何日も形の練習は続いた。

莞爾達三人の動きにスピードと鋭さが増してくる。

気合と共に出る突きや蹴りも、的確に仮想の相手を捉えている。

お盆が終わり、お参りをする人もまばらになったある日。

三人の演武を見ていた彰が龍介の耳元で囁いた。

「なあ、そろそろいいんじゃないか? 組手やらせても・・・」

「組手? 組手って自由組手か?」

 彰はニヤッと笑って頷いた。

「そうさ。見てみろよ、あの動き。下手するとコウタロウより上だぞ」

 龍介は幸二の演武を見ていた。

確かに上達が早い。

龍介の頭の中に茶目っ気が出てきた。

時代を超えた父と息子の対決。

面白そうだ。

 演武が終わると龍介は声を掛けた。

「ヨシッ! 今日は組手をする!」

「組手?」

 莞爾達は首を傾げ訊き返した。意味が分からないようだ。

「組手とは一対一の試合形式の実戦だ」

 三人は顔を見合わせた。

やっとここまで来た、という顔をしている。

「ただ、実戦とはいってもあくまで試合だ。そこにはルールがある。

突きや蹴りは当たる直前で止める。寸止めだ。しかし、ただ止めるだけではだめだ。スピード、力、体重が爆発的に集中されなければ一本にならない。それに、万が一当たった場合は逆に反則負けになる。いいな!」

「押忍!!

 三人はやる気満々である。

龍介はニヤッと笑うと対戦相手を呼び出した。

「コウタロウとコウジ! 前へ!」

「エッ? なんで?」

 幸太郎は戸惑いを隠せない。

「なぜ俺なんだ?」という思いよりも相手が問題だ。

同い年とはいえ自分の実の父親だ。

「リュウスケ!!

 幸太郎は半ば怒ったように言う。

「どうして俺なんだよ! 他にもいるだろう!」

 龍介はニヤニヤ笑いながら手招きした。

「まあ、いいからいいから。ほれ、始めるぞ」

 幸太郎は嫌々前に出た。

反対に幸二はすでに気合が入っている。

「お互いに礼!」

 互いに礼をする。

「一本勝負、はじめ!」

 二人は構えると、お互いの間合いを計りながら軽くステップを踏んだ。

最初に仕掛けたのは幸太郎だった。

「エーイッ!」

 相手の上段を突く。

瞬間、幸二は左上段で払うと右中段を突き返した。

「パシッ」と道衣の擦れる音がする。

「まだまだ」

 龍介は首を横に振る。

浅かった。

しかし幸二の顔は満足気だ。

形の練習で覚えた体が自然に反応する。

笑みが漏れた。

幸太郎は一度間合いを空けると、前蹴りを出してきた。

幸二は軽く払うと、一歩踏み込んだ。

「ヤーッ!!

 気合と共に突き出した拳は幸太郎の顔面を捉えていた。

「いっぽーん!! そこまで!!

 同時に龍介の右手が真っすぐに上がった。

幸太郎は両手で鼻を押さえ、うずくまっている。

「イッテー!! リュウスケ! 今の一本はねえだろう。反則だ! 当たっているぞ〜 ほら!」

 そう言って顔を上げた。

すると、見ていた皆からドッと笑いが漏れた。

鼻の下から一筋、ツーッと赤いものが流れている。

「ごめんごめん。まあ最初だから良いだろ?」

 龍介は軽く幸太郎の背中をポンポンと叩いた。

しかし、幸太郎の怒りはまだ収まらない。

龍介の手を払いながら立ち上がった。

「本当にもう!」

 唸るように言っている。

「御免って言っているだろう? だから次はコウタロウが主審をやってくれ。

な、それなら良いだろ?」

「分かったよ。次は誰だ?」

 幸太郎はふて腐れたように言うとティッシュを取り出し、鼻の穴にねじ込んだ。

また皆の笑いを誘ってしまった。

「よし! 次はカンジとテツ!」

 二人が前に出る。

幸太郎の「はじめ!」の合図で二人は構えた。

お互い技の応酬。

攻撃と受けが見事に合っている。

見ている彰が龍介に言った。

「なあ、ランニングシャツに短パン姿の空手。

父ちゃん達かっこ良いと思わないか?」

「ああ、かっこ良いよな。いけているよ!」

「俺も戻ったらあのかっこうで空手するかな〜」

「戻ったらか・・・?」

 二人の会話はプツンとここで途切れた。

 


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